・・・それに、娘の方から寝台へ誘ったといっても、万一それが無邪気な気持からであったとすれば小沢の思い違いはきっと悔恨を伴うだろう。「君、こうしていて怖くない……?」 小沢はそうきいてみた。すると、娘は、「怖くないわ、あたし怒らないわ」・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・しかしS先生が意識して嘘をわざわざ書かれるはずはないので、詳細の点に関する記憶の誤りや思い違いはあるにしても大体の事実に相違はないであろうと思われた。それで、これは夏目先生に関する一つの資料として保存しておけば他日きっと役に立つ機会があるで・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・しかし、これは思い違いである。実際はやはり普通の講義や演習から非常なお蔭を蒙っていることは勿論であって、もしか当時そういう正規の教程を怠けてしまっていたらおそらく卒業後の学究生活の第一歩を踏出す力さえなかったに相違ない。講義も演習もいわば全・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・こういう思い違いをすることも、しかし何かやはり人間に必要なことであるかもしれない。こういう自負心のおかげで科学が進歩し社会も進展するのかもしれない。 池にはめだかとみずすましがすんでいる。水中のめだかの群れは、頭上の水面をみずすましが駆・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・工学部の課目中に物理実験を加えるようになったのも同君並びに同志の諸氏の考えが導因となったもののように記憶するが、この点は筆者の思い違いかもしれない。鋭い直観の力で一遍に当面の問題の心核を掴んでしまう。そうして簡易な解析と手軽な実験によって問・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・もちろん思い違いかもしれない。ただ向う側の割竹を並べた垣の上に鬱蒼と茂って路地の上に蔽いかぶさっている椎の木らしいものだけが昔のままのように見える。人間よりも家屋よりもこうした樹の方が年を取らぬものと思われる。とにかくこの樹の茂りを見てはじ・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・そう言えば培養された黴菌の領土の型式の中にも多少類似のものがあったように思うが、これも何かの思い違いかもしれない。しかしそういういろいろな生物学的方面における形態的類型にも注意を怠らないようにしたいものだと思う。案外、そういう方面から有益な・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・ 記憶の悪い自分のこの追憶の記録には、おそらく時代の錯誤や、事実の思い違いがいろいろあるであろうと思う。ただ自分の主観の世界における先生のおもかげを、自分としてはできるだけ忠実に書いてみたつもりであるが、学者として、作家として、また人間・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・従ってこの想い出には色々の思い違いがあることと思う。 寺田寅彦 「初旅」
・・・俺はお前と喧嘩する気はないよ。俺は思い違いをしていたんだ。悪かったよ」「何だ! 思い違いだと。糞面白くもねえ。何を思い違えたんだい」「お前等三人は俺を威かしてここへ連れて来ただろう。そしてこんな女を俺に見せただろう。お前たちは此女を・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫