・・・奔馬のように狂う恋情を鋭い知性や高い意志で抑えねばならぬ。私の場合ではそれほどでもない女性に、目くもって勝手に幻影を描いて、それまで磨いてきた哲学的知性もどこへやら、一人相撲をとって、独り大負傷をしたようなものだ。これは知性上から見て恥であ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・今、この白樺の幹の蔭に、雀を狙う黒い猫みたいに全身緊張させて構えている男の心境も、所詮は、初老の甘ったるい割り切れない「恋情」と、身中の虫、芸術家としての「虚栄」との葛藤である、と私には考えられるのであります。 ああ、決闘やめろ。拳銃か・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・ああ、この、だらしない恋情の氾濫。いったい、私は、何者だ。「センチメンタリスト。」おかしくもない。 ことしの春、妻とわかれて、私は、それから、いちど恋をした。その相手の女のひとは、私を拒否して、言うことには、「あなたは、私ひとりのも・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・これは彼の万象に対する感情が恋情に類したものであった事を物語るであろうと思われる。しかし彼は恋の本情を認識して恋の風雅を味わうために頭を丸め、一つ家の遊女と袂を別った。これと比較するとたとえば蕪村は自然に対するエロチシズムをもっていない。画・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・恋を描くにローマン主義の場合では途中で、単に顔を合せたばかりで直ぐに恋情が成立ち、このために盲目になったり、跛足になったりして、煩悶懊悩するというようなことになる。しかしこんな事実は、実際あり得ない事である。其処が感激派の小説で、或情緒を誇・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・譬ば恋情の切なるものは能く人を殺すといえることを以て意と為したる小説あらんに、其の本尊たる男女のもの共に浮気の性質にて、末の松山浪越さじとの誓文も悉皆鼻の端の嘘言一時の戯ならんとせんに、末に至って外に仔細もなけれども、只親仁の不承知より手に・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
出典:青空文庫