・・・己はあの生真面目な侍の作った恋歌を想像すると、知らず識らず微笑が唇に浮んで来る。しかしそれは何も、渡を嘲る微笑ではない。己はそうまでして、女に媚びるあの男をいじらしく思うのだ。あるいは己の愛している女に、それほどまでに媚びようとするあの男の・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・あの男は琵琶でも掻き鳴らしたり、桜の花でも眺めたり、上臈に恋歌でもつけていれば、それが極楽じゃと思うている。じゃからおれに会いさえすれば、謀叛人の父ばかり怨んでいた。」「しかし康頼様は僧都の御房と、御親しいように伺いましたが。」「と・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・われらの祖先の日本娘はどんな恋をしたか、も少し恋歌を回顧してみよう。言にいでて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり思ふこと心やりかね出で来れば山をも川をも知らで来にけり冬ごもり春の大野を焼く人は焼きたらぬかもわが心焼・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・例えば万葉時代には実地より出でたる恋歌の著しく多きに引きかえ『曙覧集』には恋歌は全くなくして、親を懐い子を悼み時を歎くの歌などがかえって多きがごとし。 曙覧の歌、四になる女の子を失いてきのふまで吾衣手にとりすがり父よ父よといひて・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・それを用いて恋歌を詠んで見よかと思うたばかりで出来ぬ。一時間ばかりここに居たがいよいよ寒けがしてたまらぬから帰る事にして、車夫に負われて車に乗った。 土産に張子細工を一つほしいというたので秀真は四、五本抜いて持って来てくれた。一本選り取・・・ 正岡子規 「車上の春光」
出典:青空文庫