・・・その時僕は恐る恐る、実は今御掲載中の小説は私の書いたものでありますが、校正などに間違いもあるし、かねて少し訂正したいと思っていた処もありますから、何の報酬も望む所ではありませんが、一度原稿を見せて戴く訳には行きませんか、こう持ちかけた。実は・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 腰元は恐る恐る繰り返して、「お聞き済みでございましょうか」「ああ」とばかり答えたまう。 念を推して、「それではよろしゅうございますね」「何かい、痲酔剤をかい」「はい、手術の済みますまで、ちょっとの間でございます・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・母御に見えて―― 湯帰りに蕎麦で極めたが、この節当もなし、と自分の身体を突掛けものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞らしいのなぞは、相撲の取的が仕切ったという逃尻の、及腰で、件の赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、「阿母。」・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・前世の業と断念めて、せめて近所で、蕎麦か饂飩の御都合はなるまいか、と恐る恐る申し出ると、饂飩なら聞いてみましょう。ああ、それを二ぜん頼みます。女中は遁げ腰のもったて尻で、敷居へ半分だけ突き込んでいた膝を、ぬいと引っこ抜いて不精に出て行く。・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・といった、後はもうお念仏になりそうな、小宮山は恐る恐る、女の微笑んでおります顔を見て、どうかこうか、まあ殺されずに済みそうだと、思うばかりでございまする。「一体物好でこんな所へ入って来たお前さんは、怖いものが見たいのだろう。少々ばかりね・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・と荒らかに言棄てて、疾風土を捲いて起ると覚しく、恐る恐る首を擡げあぐれば、蝦蟇法師は身を以て隕すが如く下り行き、靄に隠れて失せたりけり。 やれやれ生命を拾いたりと、真蒼になりて遁帰れば、冷たくなれる納台にまだ二三人居残りたるが、老媼の姿・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・ 夜が明けたらこの子はどうなるかと、恐る恐る考えた。それと等しく自分の心持ちもどうなるかと考えられる。そしてそういうことを考えるのを、非常に気味わるく恐ろしく感じた。自分は思わず口のうちで念仏を始めた。そうして数十ペん唱えた。しかしいく・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・ところが社員は恐る恐る刺を通じて早速部屋に通され、粛々如として恭やしく控えてると、やがてチョコチョコと現われたは少くも口髯ぐらい生やしてる相当年配の紳士と思いの外なる極めて無邪気な紅顔の美少年で、「私が森です」と挨拶された時は読売記者は呆気・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は・・・ 梶井基次郎 「檸檬」
・・・自分は鞄を持った片手を、鞄のまま泥について恐る恐る立ち上った。――いつの間にか本気になっていた。 誰かがどこかで見ていやしなかったかと、自分は眼の下の人家の方を見た。それらの人家から見れば、自分は高みの舞台で一人滑稽な芸当を一生懸命やっ・・・ 梶井基次郎 「路上」
出典:青空文庫