・・・そんな時が来ても、私がこの農場を解放したのを悔いるようなことは断じてないつもりです。昔なつかしさに、たまに遊びにでもやって来た時、諸君が私に数日の宿を惜しまれなかったら、それは私にとって望外の喜びとするところです。 この上いうことはない・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・当り前ならば、尋ねる友人の家に著いたのであるから、やれ嬉しやと安心すべき筈だに、おかしく胸に不安の波が騒いで、此家に来たことを今更悔いる心持がするは、自分ながら訳が解らなかった。しかし此の際咄嗟に起った此の不安の感情を解釈する余裕は固よりな・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・仕事を、全部犠牲にしても、悔いることは無いと思っていた。 歩きながら、「でも、よく逢えたねえ。」「ええ、お名前は、まえから母に朝夕、聞かされて、失礼ですが、ほんとうの兄のような気がして、いつかはお逢いできるだろう、と奇妙に楽観し・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・ 今はもう取りかえしのつかない事を悔いる心は日々眼にふれるささいな事によってでも起る。 あの幼ない妹にそそぐべき愛はあれよりももっともっと沢山あったのではあるまいか。 召使のものたち、又見知り越しのものたちはその時こそ涙をこぼし・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 銀座の町のすきな私は、浅草の町に行ったと云う事が恋人の外の男としたしくしたのを女が悔いる様に私はよけい銀座の町にはげしいなつかしみをもってる様になったんでした。 〔無題〕 外には木枯しがおどろくほどの勢で吹きま・・・ 宮本百合子 「芽生」
出典:青空文庫