・・・我等に、生甲斐を感じさせ、悦楽と向上の念とを与え、力強く生活の一歩を進めるものであったなら、芸術として、詩として、それは絶対のものでなければならぬ。 況んや、今日の生活は、目的への手段でもなければ、未来への段階と解すべき筈のものでもない・・・ 小川未明 「単純化は唯一の武器だ」
・・・よしその理想が実現できるにしてもこれを未来に待たなければならない訳であるから、書いてある事自身は道義心の飽満悦楽を買うに十分であるとするも、その実己には切実の感を与え悪いものである。これに反して自然主義の文芸には、いかに倫理上の弱点が書いて・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・と云い乍ら皆を呼んで歩くことは、決して、先のように楽しい、活動的な悦楽ではなくなってしまったのである。 母が、元、私に養子をする積りであったと云うことが、一方問題を一層混乱させた。「C・O」と云う家族の姓名に、殆ど世間知らずに近・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・しかし我々は金をためること、肉欲にふけることを無上の悦楽とする「高利貸的人間」が、広汎な享楽の力を持つとは思わない。むしろ彼らは貪欲と肉欲とのゆえに、自然と人生との限りなき価値に対して盲目なのである。彼らが一つの古雅な壺を見る。その形と色と・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・官能の悦楽のあとで彼はそのはかなさに苦しまないでいられるか。痛苦を堪え忍ぶ時彼はこの生が生理的偶然に過ぎないという考えを悦ぶことができるか。――この問いに「否」と答える人の多いことはわかっている。しかし「しかり」と答える人もまた多数であるこ・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・勉強を強うる教師は学生の自負と悦楽を奪略するものである。寄席にあるべき時間に字書をさし付けらるるは「自己」を侮辱されたと認めてよい。かくして朝寝に耽り学校を牢獄と見る。「自己」を救うために学校を飛び出す。友は騒ぎ母は泣く。保証人はまっかにな・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫