・・・惧れるために、ヘロデ王の殺した童子たちのことを、ヨハネの洗礼を受けられたことを、山上の教えを説かれたことを、水を葡萄酒に化せられたことを、盲人の眼を開かれたことを、マグダラのマリヤに憑きまとった七つの悪鬼を逐われたことを、死んだラザルを活か・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。」 御主人の御腹立ちにも関らず、わたしは御・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・歓楽湧くが如き仮装の大舞踏会の幕が終ると、荒涼たる日比谷原頭悪鬼に追われる如く逃げる貴夫人の悲劇、今なら新派が人気を呼ぶフィルムのクライマックスの場面であった。 風説は風説を生じ、弁明は弁明を産み、数日間の新聞はこの噂の筆を絶たなかった・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。 ――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思って・・・ 梶井基次郎 「桜の樹の下には」
・・・僕は思わずぽろっと、燃えるマッチをとり落したのである。悪鬼の面を見たからであった。「それでは、いずれまた参ります。ないものは頂戴いたしません。」僕はいますぐここからのがれたかった。「そうですか。どうもわざわざ。」青扇は神妙にそう言っ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・感覚だけの人間は、悪鬼に似ている。どうしても倫理の訓練は必要である。 子供から冷い母だと言われているその母を見ると、たいていそれはいいお母さんだ。子供の頃に苦労して、それがその人のために悪い結果になったという例は聞かない。人間は、子供の・・・ 太宰治 「純真」
・・・デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者、敵、大なる竜、古き蛇、等である。以下は日本に於ける唯一の信ずべき神学者、塚本虎二氏の説であるが、「名称に依っても、・・・ 太宰治 「誰」
・・・そう思ったら、微笑が、そのまま凍りついて、みるみる悪鬼の笑いに変っていった。 ☆ 男は、何人でも、います。そう答えてやりたかった。おのれは醜いと恥じているのに、人から美しいと言われる女は、そいつは悲惨だ。風の・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・資本というものの天性は、一つの悪鬼に似ている。人間の労力から生まれた資本はためこまれて、やがて人間を喰いはじめ、その精神的所産までを貪婪に食いつくそうとする。それに対して、ヨーロッパは、自身の流血をもって闘った。第二次世界戦争の結果は、こう・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・しかし、きょうの日本の便乗悪鬼は、鼻の下にチョビ髭をはやして外国語を話す紳士首相の姿をしていたり、さもなければ、でっぷり艷のいい二重顎にふとって、白いバラなどを胸にかざった党首としてあらわれたりしている。 言論・出版の自由は、世界の公約・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
出典:青空文庫