・・・元来世間の批評家には情味がないと言われている、すこぶる理智的なおれなのだが。 そのお君さんがある冬の夜、遅くなってカッフェから帰って来ると、始は例のごとく机に向って、「松井須磨子の一生」か何か読んでいたが、まだ一頁と行かない内に、どう云・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・このデカダン興味は江戸の文化の爛熟が産んだので、江戸時代の買妓や蓄妾は必ずしも淫蕩でなくて、その中に極めて詩趣を掬すべき情味があった。今の道徳からいったら人情本の常套の団円たる妻妾の三曲合奏というような歓楽は顰蹙すべき沙汰の限りだが、江戸時・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と、いうような、情味のない返事であったら、その言葉は、子供の期待にそむいて、いかなる感銘を与えるであろうか。それを思えば、お母さんは、機嫌買であってはならぬのです。子供は、いつも真剣であるのだから、子供の期待にそむかぬようにするのが、実に母・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ はじめ清澄山で師事した道善房は凡庸の好僧で情味はあったが、日蓮の大志に対して善知識たるの器ではなかった。ただ蔵経はかなり豊富だったので、彼は猛烈な勉強心を起こして、三七日の断食して誓願を立て、人並みすぐれて母思いの彼が訪ね来た母をも逢・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がした。海上生活者が港にあこがれ、陸を恋しがるように、彼等は、内地にあこがれ、家・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・あの情味が新開眼の自己道徳には伴わない。要するに新旧いずれに就くも、実行的人生の理想の神聖とか崇高とかいう感じは消え去って、一面灰色の天地が果てしもなく眼前に横たわる。讃仰、憧憬の対当物がなくなって、幻の華の消えた心地である。私の本心の一側・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・ とにかく、これでもかこれでもかと眼新しい趣向を凝らして人性の自然を極度に歪曲したものばかり見せられている際に、たまたまこういう人間らしい平凡な情味をもった童話的なものに出会うと清々しい救われたような気持がするから妙である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・この映画のおもしろみはストーリーの猟奇的な探偵趣味よりもむしろウィリアム・パウェルという男とマーナ・ロイという女とこの二人の俳優の特異なパーソナリティの組み合わせと、その二人で代表された特異な夫婦間の情味にかかっているというのが定評となって・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
・・・あすこにもやはり一種の俳味があり、そうしていかにも老夫婦らしいさびた情味があってわれわれのような年寄りの観客にはなんとなくおもしろい。 しかし映画芸術という立場から見るとむしろ平凡なものかもしれないと思われた。 八 ベン・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 年の行かない令嬢が振袖に織物の帯を胸高にしめて踊るのがなんと言ってもこういう民族的の踊りにはふさわしく美しく見えたが、洋装のお嬢さんたちのはどうも表情体操でも見るようで、おかしくはないが全くなんの情味もないものに思われた。それからまた、・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
出典:青空文庫