・・・ところが、それほど銭湯好きの彼が何かの拍子に、ふと物臭さの惰性にとりつかれると、もう十日も二十日も入浴しなくなる。からだを動かすとプンといやな臭いがするくらい、異様に垢じみて来るのだが、存外苦にしない。これがおれの生活の臭いだと一寸惹かれて・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ 急速な運動を人間の目で見る場合には、たとえば暗中に振り回す線香の火のような場合ならば網膜の惰性のためにその光点は糸のように引き延ばされて見えるのであるが、普通の照明のもとに人間の運動などを見る場合だとその効果は少なくも心理的には感じら・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・引っ返して追い駆けてやったら、とは思いながら自分の両足はやはり惰性的に歩行を続けて行った。 女房にでも逃げられた不幸な肺病患者を想像してみた。それが人づてに、その不貞の妻が玉の井へんにいると聞いて、今それを捜しに出かけるのだと仮定してみ・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・ ただ一瞥を与えただけで自分は惰性的に神保町の停車場まで来てしまった。この次に見つけたらあれを買って来るのだと思いついた時には、自分をのせた電車はもう水道橋を越えて霜夜の北の空に向かって走っていた。昔のわが家の油絵はどうなったか、それを・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・テヘラン、イスパハンといったようないわゆる近東の天地がその時分から自分の好奇心をそそった、その惰性が今日まで消えないで残っているのは恐ろしいものである。「団々珍聞」という「ポンチ」のまねをしたもののあったのもそのころである。月給鳥という鳥の・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・俳諧の流るるごとき自由はむしろその二千年来の惰性と運動量をもつところの詩形自身の響きの中にのみ可能である。俳諧は謡いものなりというはこの事である。一知半解の西洋人が芭蕉をオーレリアスやエピクテータスにたとえたりする誤謬の出発点の一つはここに・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・かくのごとくして起る電磁場は一種の惰性を有する事が実験上から知られる、すなわち荷電体を動かし始める時には動くまいとし、動いているのを止める時には運動を続けようとする、丁度物質質量と同様な性質を有しているのである。質量の定義に従えば荷電体従っ・・・ 寺田寅彦 「物質とエネルギー」
・・・今日純粋物理学の立場から言えば感覚に関した音という概念はもはや消滅したわけであるが因習の惰性で今日でも音響学という名前が物理学の中に存している。今日ではむしろ弾性体振動学とでもいうべきであろう。光の感覚でも同様である。光覚に関する問題は生理・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・そのころもうすでに大衆性を失ってしまって、ただわずかに過去の惰性のなごりをとどめていたのではないかと思われる。東京で震災前までは深川へんで見かけたことのあるあの定斎屋と同じようなものであったらしいが、しかし枇杷葉湯のあの朱塗りの荷箱とすがす・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・その外の実験は色に関するものや、電気感応と惰性とのアナロジーなどに関するもので、これに関するマクスウェルとの文通が保存されている。 一八七一年に、ケンブリッジに新設されたキャヴェンディッシ講座に適当な人を求める問題がおこった。その時レー・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
出典:青空文庫