・・・しかして一種形容すべからざる面色にて、愁然として立ちたるこそ、病者の夫の伯爵なれ。 室内のこの人々に瞻られ、室外のあのかたがたに憂慮われて、塵をも数うべく、明るくして、しかもなんとなくすさまじく侵すべからざるごとき観あるところの外科室の・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・主翁は拒むことあたわずして、愁然としてその実を語るべきなり。 聞くのみにてはあき足らざらんか、主翁に請いて一室に行け。密閉したる暗室内に俯向き伏したる銀杏返の、その背と、裳の動かずして、あたかもなきがらのごとくなるを、ソト戸の透より見る・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ と叫べる声、奥深きこの書斎を徹して、一種の音調打響くに、謙三郎は愁然として、思わず涙を催しぬ。 琵琶は年久しく清川の家に養われつ。お通と渠が従兄なる謙三郎との間に処して、巧みにその情交を暖めたりき。他なし、お通がこの家の愛娘として・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・かれは黙して杯を受けて、ぐいと飲み干したが、愁然として頭を垂れた。そして杯を下に置いた。突然起って、『いや大変酔った、さようなら。』 自分は驚いて止めたが、止まらなかった。『どうかまた来てください、』と自分のいう言葉も聞いたか聞かな・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・彼は愁然として毛皮を手に提げて見た。「おっつあん可哀想になったか」と二人はいった。「それじゃあとはおらが始末すっからな」 棒をそこへ投げ棄てて二人は去った。血は麦藁の上にたれて居た。三次の手には荒繩で括った犬の死骸があった。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫