・・・人性本然の向上的意力が、かくのごとき休止の状態に陥ることいよいよ深くいよいよ動かすべからずなった時、人はこの社会を称して文明の域に達したという。一史家が鉄のごとき断案を下して、「文明は保守的なり」といったのは、よく這般のいわゆる文明を冷評し・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・というような気持を超した、ある意力のある無常感であった。彼は古代の希臘の風習を心のなかに思い出していた。死者を納れる石棺のおもてへ、淫らな戯れをしている人の姿や、牝羊と交合している牧羊神を彫りつけたりした希臘人の風習を。――そして思った。・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ もし富岡先生に罵しられたばかりなら彼は何とかして思切るほうに悶いたであろう、その煩悶も苦痛には相違ないが、これ戦である、彼の意力は克くこの悩に堪えたであろう。 然し今の彼の苦悩は自ら解く事の出来ない惑である、「何故梅子はあの晩泣い・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・だからこれは恋する力が強いのが悪いのではなく、知性や意力が弱いのがいけないのだ。奔馬のように狂う恋情を鋭い知性や高い意志で抑えねばならぬ。私の場合ではそれほどでもない女性に、目くもって勝手に幻影を描いて、それまで磨いてきた哲学的知性もどこへ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・そして、広く行き渡ったにもかゝわらず、いまだ文学的批判の対象として取り上げられなかったらしいのは、従来の文学批評家の文人気質によるというよりは、愛国的熱情があまって真実を追求しようとする意力の欠如が、文学としての価値を低めているがためだろう・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 女の人間らしい慈愛のひろさにしろ、それを感情から情熱に高め、持続して、生活のうちに実現してゆくには巨大な意力が求められる。実現の方法、その可能の発見のためには、沈着な現実の観察と洞察とがいるが、それはやっぱり目の先三寸の態度では不可能・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・それは、日清戦争前後のロマンティックな文学的雰囲気に触れ、非常に才気煥発で敏感な葉子にあっても、やはり環境的にもたらされてそこから脱ける意力ははぐくまれていなかった不幸の最大の原因であったということを、葉子が理解しないと同時に、作者もはっき・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・ 決して、理知は暗黒な意力、或は暴威を、互の為に許しはしないのだ。が、或瞬間、情熱の爆発は、其の忘我まで自分を馳り立てる。 彼女は――自分は――その忘我が、感情に於てふんだんの女性である自分にとって、不可抗なものである事を熟知して居・・・ 宮本百合子 「結婚問題に就て考慮する迄」
・・・ 現代の日本の文学へは、行動の感覚と未だ区分されていない程度のものとして意力的な感情が少くない分量でもち込まれて来ている。それは、或る場面での実感の肯定として現れて来ている。思意的な生活感情は、そのような実感の吟味から表現されるとともに・・・ 宮本百合子 「現実と文学」
・・・ ああ此処でも、遙かな雲に遮られてはいるが、彼等の精神と意力のそよぎが感じられるようだ。ああ人間たち! 本当に、諸神が昔パンドーラに種々の贈物をされた時、私が何心なく希望を匣の下積みに投げ入れたのはよいことであった。 ・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫