・・・「それほど愚かとは思わなかった。」 御主人はまた前のように、にこにこ御笑いになりました。「お前がこの島に止まっていれば、姫の安否を知らせるのは、誰がほかに勤めるのじゃ? おれは一人でも不自由はせぬ。まして梶王と云う童がいる。――・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・そういう時の彼れは大きな愚かな子供だった。居合せたものはつり込まれて彼れの周囲に集った。女まで引張られるままに彼れの膝に倚りかかって、彼れの頬ずりを無邪気に受けた。「汝がの頬に俺が髭こ生えたらおかしかんべなし」 彼れはそんな事をいっ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・このごときを数え上げることの愚かさは、針頭の立ちうる天使の数を数えんとした愚かさにも勝った愚かさであろう。いかなるよき名を用いるとも、この二つの道の内容を言い尽くすことはできまい。二つの道は二つの道である。人が思考する瞬間、行為する瞬間に、・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・橋杭ももう痩せて――潮入りの小川の、なだらかにのんびりと薄墨色して、瀬は愚か、流れるほどは揺れもしないのに、水に映る影は弱って、倒に宿る蘆の葉とともに蹌踉する。 が、いかに朽ちたればといって、立樹の洞でないものを、橋杭に鳥は棲むまい。馬・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ つけつけと小言を言わるれば口答えをするものの、省作も母の苦心を知らないほど愚かではない。省作が気ままをすれば、それだけ母は家のものたちの手前をかねて心配するのである。慈愛のこもった母の小言には、省作もずるをきめていられない。「仕事・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・見る通り家中がもう、悲しみの闇に鎖されて居るのです。愚かなことでしょうがこの場合お前さんに民子の話を聞いて貰うのが何よりの慰藉に思われますから、年がいもないこと申す様だが、どうぞ聞いて下さい」 お祖母さんがまた話を続ける身を責めて泣かれ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・文人が公民権が無くとも、代議士は愚か区会議員の選挙権が無くとも、社会的には公人と看做されないで親族の寄合いに一人前の待遇を受けなくとも文人自身からして不思議と思わなかった。寧ろ文人としては社会から無能者扱いを受けるのを当然の事として、残念と・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・右眼が明を失ったのは九輯に差掛った頃からであるが、馬琴は著書の楮余に私事を洩らす事が少なくないに拘わらず、一眼だけを不自由した初期は愚か両眼共に視力を失ってしまってからも眼の事は一言もいわなかった。作者の私生活と交渉のなかった単なる読者は最・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・国にもしかかる「愚かなる智者」のみありて、ダルガスのごとき「智き愚人」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて戦敗の非運に遭いまするならば、その国はそのときたちまちにして亡びてしまうのであります。国家の大危険にして信仰を嘲り、これを無用視するが・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 彼女は、この愚かな聟が、たとえ自分を慕い、愛してくれましたにかかわらず、どうしても自分は愛することができなかったのです。 娘は、西にそびえる高い山を仰ぎました。そして、明け暮れ、なつかしい故郷が慕われたのです。三年たてば、恋しい母・・・ 小川未明 「海ぼたる」
出典:青空文庫