・・・「何を愚図々々しているんだえ? ほんとうにお前位、ずうずうしい女はありゃしないよ。きっと又台所で居睡りか何かしていたんだろう?」 恵蓮はいくら叱られても、じっと俯向いたまま黙っていました。「よくお聞きよ。今夜は久しぶりにアグニの・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 賢造の姿が隠れると、洋一には外の雨の音が、急に高くなったような心もちがした。愚図愚図している場合じゃない――そんな事もはっきり感じられた。彼はすぐに立ち上ると、真鍮の手すりに手を触れながら、どしどし梯子を下りて行った。 まっすぐに・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ まだ愚図愚図しているな。これでもか? これでもか?」砂利は続けさまに飛んで来ました。中には白の耳のつけ根へ、血の滲むくらい当ったのもあります。白はとうとう尻尾を巻き、黒塀の外へぬけ出しました。黒塀の外には春の日の光に銀の粉を浴びた紋白蝶が・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・そして竹箆返しに跡釜が出来たから小屋を立退けと逼った。愚図愚図していると今までのような煮え切らない事はして置かない、この村の巡査でまにあわなければ倶知安からでも頼んで処分するからそう思えともいった。仁右衛門は帳場に物をいわれると妙に向腹が立・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・民子も何か愚図愚図して支度もせぬ様子。もう嬉しがってと云われるのが口惜しいのである。母は起きてきて、「政夫も支度しろ。民やもさっさと支度して早く行け。二人でゆけば一日には楽な仕事だけれど、道が遠いのだから、早く行かないと帰りが夜になる。・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・何かにつけて緑雨は万年博士を罵って、愚図愚図いやア万年泣拝という手紙を何本も発表してやると力んでいた。その代りに当時はマダ大学生であった佐々醒雪、笹川臨風、田岡嶺雲というような面々がしばしば緑雨のお客さんとなって「いろは」の団子を賞翫した。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 女は身じまいはしたが、まだ愚図ついていた。「まあ」と思い、彼は汗づいた浴衣だけは脱ぎにかかった。 女は帰って、すぐ彼は「ビール」と小婢に言いつけた。 ジュ、ジュクと雀の啼声が樋にしていた。喬は朝靄のなかに明けて行く水みずし・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・少し赧くなっているんじゃないか。思う尻から自分は顔が熱くなって来たのを感じた。 係りは自分の名前をなかなか呼ばなかった。少し愚図過ぎた。小切手を渡した係りの前へ二度ばかりも示威運動をしに行った。とうとうしまいに自分は係りに口を利いた。小・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・風が吹いて騒ついた厭な日だったもの、釣れないだろうとは思ったがね、愚図愚図していると叱られるから、ハイと云って釣には出たけれども、どうしたって日が悪いのだもの、釣れやしないのさ。夕方まで骨を折って、足の裏が痛くなるほど川ん中をあっちへ行った・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・私は子供の時から、愚図々々が何より、きらいでした。あの頃、父に、母に、また池袋の大姉さんにも、いろいろ言われ、とにかく見合いだけでも等と、すすめられましたが、私にとっては、見合いもお祝言も同じものの様な気がしていましたから、かるがると返事は・・・ 太宰治 「きりぎりす」
出典:青空文庫