・・・兄には多少の不満もあったが、それは親の愛情から出た温かい深い配慮から出たものであった。義姉はというと、彼女は口を極めて桂三郎を賞めていた。で、また彼女の称讃に値いするだけのいい素質を彼がもっていることも事実であった。 とにかく彼らは幸福・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・白痴の主人公は、愛情の昂奮に駆られた時、不意に対手の頭を擲ろうとする衝動が起り、抑えることが出来ないで苦しむのである。それを初めて読んだ時、まさしくこれは僕のことを書いたのだと思ったほどだ。僕は少年時代に黒岩涙香やコナン・ドイルの探偵小説を・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親子の真面目を現わす所にして、其間に心置なく遠慮なきが故なり。其遠慮なきは即ち親愛の情の濃なるが故なり。其愛情は不言の間に存して天下の親子皆然らざるはなし。啻に出・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 一寸親子の愛情に譬えて見れば、自分の児は他所の児より賢くて行儀が可いと云う心持ちは、濁って垢抜けのしない心持ちである。然るに垢抜けのした精美された心持ちで考えると、自分の児は可愛いには違いないが、欠点も仲々ある、どうしても他所の児の方・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・然し、事実は愛情もない、別々に生活している男女が法律の上でだけは夫婦で、しかもその法律が物をいい出せば、夫である田村純夫がいろいろ支配力を自分の上に持っているという考えは何と奇怪であろう。陽子は益々自分の中途半端な立場を感じ、謂わば、枝に引・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 片岡鉄兵氏が一九三〇年に書かれた「愛情の問題」は、その点で非常に興味のある作品であると思う。闘争に参加している夫婦が部署の関係で別々の活動に従わなければならないことになり、妻である婦人闘士はある男の同志と共同生活をはじめる。男の同志は・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・と勘次は急に今までと全く違った愛情を安次に対して感じ出した。「安次、今晩は御馳走を食わそうか、よう?」「いいや、もう結構や。」「風呂が沸いてるぞ、お前這入らんか?」「あかんのじゃ、あいつに這入ると、やられるんじゃ。」「そ・・・ 横光利一 「南北」
・・・二人にとって、時間は最早愛情では伸縮せず、ただ二人の眼と眼の空間に明暗を与える太陽の光線の変化となって、露骨に現われているだけにすぎなかった。それは静かな真空のような虚無であった。彼には横たわっている妻の顔が、その傍の薬台や盆のように、一個・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・彼女の父アレサンドロは役者としては大して成功しなかったが、絵画に対しては猛烈な愛情を持っていた。 エレオノラの初舞台は一八六一二年、彼女が四歳の時であった。十四になった誕生日には初めてジュリアをつとめたが、そのころは見すぼらしい、弱々し・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・しかも彼は少数の物象にとどまることをしないで、彼を取り巻く無数の物象に、多情と思えるほどな愛情をふり撒く。『地下一尺集』の諸篇はこの多情な、自然及び芸術との「情事」の輝かしい記録である。伊豆の海岸。江戸。京、大阪。長崎。奈良。北京。徐州。洛・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
出典:青空文庫