・・・弱い無智な貧乏人を慰めるのには、たいへんこまかい心使いがなければいけないものです。 戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単に戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。・・・ 太宰治 「恥」
・・・と、自ら慰めるように、跡で独言を言っていたが、色文なんぞではなかった。 ポルジイは非常な決心と抑えた怒とを以て、書きものに従事している。夕食にはいつも外へ出るのだが、今日は従卒に内へ持って来させた。食事の時は、赤葡萄酒を大ぶ飲んで、しま・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 汽船会社は無論乗客の無聊を慰めるために蓄音機を備えてあるので、また事実上多数の乗客は会社の親切を充分に享楽しているでもあろうが、これがために少数の「除外例」が受ける迷惑も少しは考慮の中に加えてもらいたいと思った事も幾度あったかわからな・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ 去年のあのころ、道太の頭脳はまるで鉄槌で打ちのめされたようになっていたので、それを慰めるつもりで、どうせ今日は立てないからと、辰之助は彼をこの家へ引っ張ってきた。それは四日の日で、道太は途中少し廻り道をして、墓参をしてから、ここへやっ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・とシワルドは渋色の髭を無雑作に掻いて、若き人を慰める為か話頭を転ずる。「海一つ向へ渡ると日の目が多い、暖かじゃ。それに酒が甘くて金が落ちている。土一升に金一升……うそじゃ無い、本間の話じゃ。手を振るのは聞きとも無いと云うのか。もう落付い・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・余が倫敦に居るとき、忘友子規の病を慰める為め、当時彼地の模様をかいて遙々と二三回長い消息をした。無聊に苦んで居た子規は余の書翰を見て大に面白かったと見えて、多忙の所を気の毒だが、もう一度何か書いてくれまいかとの依頼をよこした。此時子規は余程・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
・・・あるいは幾人か集って遠い処に行っている一人を思ったり、あるいは誰か一人に憂き事があるというと、皆が寄って慰めるのだ。しかし己は慰めという事を、ついぞ経験した事がない。ほんに世の中の人々は、一寸した一言をいうては泣き合ったり、笑い合ったりする・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・暖い部屋で、ポツポツ、ポツポツ針を運んで居るお節を見て、村から村へ使歩きをして居る爺の松の助がちょくちょく立ちよって、親切に慰めるつもりで、伝えふるした様な、評判だの噂さだのを話す事があった。 隣村のかなりの百姓で、甚さんと云う家がある・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 四 彼は自分の疲れを慰めるために、彼の眼に触れる空間の存在物を尽く美しく見ようと努力し始めた。それは彼の感情のなくなった虚無の空間へ打ち建てらるべきただ一つの生活として、彼に残されていたものだった。 彼は彼・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・などと、自分で自分を慰めるようになった。 が、こういう経験のおかげで、私は今さらに京都の樹木の美しさを追想するようになった。 大槻正男君の話によると、京都の風土は植物にとって非常に都合のよいものであるという。素人目にもそれはわか・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫