・・・ 慶応四年戊辰七月慶応義塾同社 誌 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・いずれにもせよ彼は依然として饅頭焼豆腐の境涯を離れざりしなり。慶応三年の夏、始めて秩禄を受くるの人となりしもわずかに二年を経て明治二年の秋彼は神の国に登りぬ。曙覧が古典を究め学問に耽りしことは別に説くを要せず。貧苦の中にありて「机に千文八百・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
四月十五日 今晩は。 いま、夜の八時十分前。一九三六年四月十五日。慶応の病室。スエ子は緑郎の作曲が演奏される音楽会へ出かけてゆき、私ひとり室の隅の机に向って、これを書いて居ます。 ゆうべから、私はこの風変り・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・空気銃を持っている子供を、慶応のグラウンドの横できのう見た故だろうか。 穏かな、静かな日だ。 戸外が静かな通り、家の中も森としている。朝食をしまうと、すぐエーは机に向った。 私も四五通の手紙を書き、フランシス・エドワーズの目録を・・・ 宮本百合子 「静かな日曜」
・・・ 慶応三年新彫、江戸開成所教授神田孝平訳の経済小学、明治元年版の山陽詩註、明治二十二年出版の細川潤次郎著考古日本等と云うものに混って、ふと面白いものが目についた。それは、東京書籍舘書目と云う一冊、飜刻智環啓蒙と云う何のことだか題では私な・・・ 宮本百合子 「蠹魚」
・・・執筆された時期からいって、この文化史は当然今日の第二次世界大戦の複雑な進行状態にはふれていない。慶応書房版ヴァルガの「第二次世界大戦の性格」は、立体的にリアルに今日の動きの諸条件と方向とを説明している。 この頃はヒトラーの「我が闘争」が・・・ 宮本百合子 「世代の価値」
・・・ 今からほぼ十年ほど前に、慶応の国文科をで、葛西善蔵、宇野浩二らに私淑し、現在では秋田県の女学校教師であるこの作家の特徴は、非常に色彩のつよい、芝居絵のような太い線で、ある意味での誇張とげてものの味をふりまきながら、身振り大きく泣き笑い・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・ Aは健康で、女子学習院、明治、慶応に教え、岩波書店から、彼の最初の著述、「ペルシア文学史考」が出版されそうになって居る。 自分は、正月の太陽の為に南路を書き、日曜や今日のようにAが家に居、机を並べてやって居る時には、此を書いたり、・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・父は自分の体の異和を益々感じたと見え「A・M・9発汽車ニテ直接慶応病院ヘ入院ス」と、やはり鉛筆で記入しています。例の調子で「二階い十」と別にかこって書いています。 ┌──┐ │KO│ └──┘などともある。十二日から二・・・ 宮本百合子 「父の手帳」
・・・それは四月まで『働く婦人』編輯事務員として全力をつくし活動した同志今野大力が現在白テロに倒れ、危篤の有様で慶応病院に入院していることです。五月号『働く婦人』編輯後記に短かく報道されていますが、中耳炎になった彼が警察から入院させられた済生会病・・・ 宮本百合子 「ますます確りやりましょう」
出典:青空文庫