・・・世人がこぞって私を憎み嘲笑していても、その先輩作家だけは、始終かわらず私の人間をひそかに支持して下さった。私は、その貴い信頼にも報いなければならぬ。やがて、「姥捨」という作品が出来た。Hと水上温泉へ死にに行った時の事を、正直に書いた。之は、・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・さき子さんも、以後は行いをつつしみ、犯した罪の万分の一にても償い、深く社会に陳謝するよう、社会の人、その罪を憎みてその人を憎まず。水野三郎。 これが、手紙の全文でございます。私は、水野さんが、もともと、お金持の育ちだったことを忘れていま・・・ 太宰治 「燈籠」
・・・一昨年始めてイタリアのお寺でこの懺悔をしているところを見ていやな感じがしてから、この仕掛けを見るごとに僧侶を憎み信徒をかわいく思います。奥の廊下の扉のわきに「宝蔵見物のかたはここで番人をお待ちくだされたし」という張り札がしてある。その前で坊・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・モオリスはその主義として芸術の専門的偏狭を憎みあくまでその一般的鑑賞と実用とを欲したために、時にはかえって極端過激なる議論をしているが、しかしその言う処は敢て英国のみならず、殊にわが日本の社会なぞに対してはこの上もない教訓として聴かれべきも・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるようにした。その後僕は君と交っている間、君の毒気に中てられて死んでいた心を振い起して高い望を抱いたのだが、そのお蔭・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・人間らしくないすべての事情、人間らしくないすべての理窟とすべての欺瞞を憎みます。愛という感情が真実わたしたちの心に働いているとき、どうして漫画のように肥った両手をあわせて膝をつき、存在しもしない何かに向って上眼をつかっていられましょう。この・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・ 頭を下げても下げても、下げ切れない程、あらたかな人の裡には、憎んでも憎み切れない或物が倶に生きて居ります。 苦笑するような心持は、十や十一の子供には分らない心持ではございますまいか。 丁度、雨にそぼぬれた獣物が、一つところにじ・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・すべての人民が自分たちが主人となっての新生活を建設してゆくにふさわしい、自分たちの努力、よろこび、悲しみ、憎み、慰安を語る民主の文学が、生れ出るべき時期になった。古い純文学は、現実生活から特殊な文学的世界へ遊離してしまっていた薄弱さから旧特・・・ 宮本百合子 「商売は道によってかしこし」
・・・相手のひとにとっては、私がそうやって書く字の形までまるきり変ってしまったほど、もがき苦しむわけがどうしても本質で理解されないのだし、私としては自分の心のうちにあるその人への愛と憎みとの間で揉みぬかれる始末であった。 そんな苦しい或る日、・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・真実は根もない憎みや恐怖や、最大の名薬「夢中」を撒くと、同類の胸も平気で刺すから愉快なものだ。ヴィンダー さてもう一息だ。俺の力の偉大さは、小さなものには著わされぬ。あの壮麗らしく人工の結晶を積みあげた街をつぶして呉れよう。斯う三叉でく・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫