・・・には、七つの恐しき罪に人間を誘う力あり、一に驕慢、二に憤怒、三に嫉妬、四に貪望、五に色欲、六に餮饕、七に懈怠、一つとして堕獄の悪趣たらざるものなし。されば DS が大慈大悲の泉源たるとうらうえにて、「じゃぼ」は一切諸悪の根本なれば、いやしく・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・父はこらえかねた憤怒の眼を光らしいきなり立ち上がった。母もあわてて立ってそれにすがりつく。「お千代やお千代や……早くきてくれ」 お千代も次の間から飛んできて父を抑える。お千代はようやく父をなだめ、母はおとよを引き立てて別間へ連れこむ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・僕はさッきから独りで、どういう風に油をしぼってやろうかと、しきりに考えていたのだが、やさしい声をして、やさしい様子で来られては、今まで胸にこみ合っていたさまざまの忿怒のかたちは、太陽の光に当った霧と消えてしまった。「お酌」と出した徳利か・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 彼はそれが自分自身への口実の、珈琲や牛酪やパンや筆を買ったあとで、ときには憤怒のようなものを感じながら高価な仏蘭西香料を買ったりするのだった。またときには露店が店を畳む時刻まで街角のレストランに腰をかけていた。ストーヴに暖められ、ピア・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 彼は、屈辱と憤怒に背が焦げそうだった。それを、やっと我慢して押しこらえていた。そして、本部の方へ大股に歩いて行った。……途中で、ふと、彼は、踵をかえした。 つい、今さっきまで、松木と武石とが立っていた窓の下へ少佐は歩みよった。彼は・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・十番坑の入口の暗いところから、たび/\の憤怒を押えつけて来たらしい声がした。「そうだ、そうだ、やれ/\。」 その時、奥の方で、ハッパが連続的に爆発する物凄い音響が轟いた。砕かれた岩が、ついそこらへまで飛んで来るけはいがした。押し出さ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・これも驚いて仰反って倒れんばかりにはなったが、辛く踏止まって、そして踏止まると共に其姿勢で、立ったまま男を憎悪と憤怒との眼で睨み下した。悍しい、峻しい、冷たい、氷の欠片のような厳しい光の眼であった。しかし美しいことは美しい、――悪の美しさの・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・重ねて四つ、という憤怒こそ、高く素直なものではないか。細君にそむかれて、その打撃のためにのみ死んでゆく姿こそ、清純の悲しみではないか。けれども、おれは、なんだ。みれんだの、いい子だの、ほとけづらだの、道徳だの、借銭だの、責任だの、お世話にな・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・の人からそう言われてみれば、私はやはり潔くなっていないのかも知れないと気弱く肯定する僻んだ気持が頭をもたげ、とみるみるその卑屈の反省が、醜く、黒くふくれあがり、私の五臓六腑を駈けめぐって、逆にむらむら憤怒の念が炎を挙げて噴出したのだ。ええっ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・あからさまに憤怒の口調になっていた。喧嘩になってもいいと思った。「山田君も山田君だ。そんな大事なことを一言も僕に教えてくれなかったというのは不親切だ。僕は、こんどの世話はごめんこうむる。僕はもう小坂さんの家へは顔出しできない。君がきょう行く・・・ 太宰治 「佳日」
出典:青空文庫