・・・ その吉助が十八九の時、三郎治の一人娘の兼と云う女に懸想をした。兼は勿論この下男の恋慕の心などは顧みなかった。のみならず人の悪い朋輩は、早くもそれに気がつくと、いよいよ彼を嘲弄した。吉助は愚物ながら、悶々の情に堪えなかったものと見えて、・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・れむには、こっちよりもそれ相当の難題を吹込みて、これだけのことをしさえすれば、それだけの望に応ずべしとこういう風に談ずるが第一手段に候なり、昔語にさること侍りき、ここに一条の蛇ありて、とある武士の妻に懸想なし、頑にしょうじ着きて離るべくもな・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・……実は僕、或少女に懸想したことがあります」と岡本は真面目で語り出した。「愉快々々、談愈々佳境に入って来たぞ、それからッ?」と若い松木は椅子を煖炉の方へ引寄た。「少し談が突然ですがね、まず僕の不思議の願というのを話すにはこの辺から初・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・彼女は実に、××に懸想し奉ったのであった。稲つけばかがる我が手を今宵もか殿のわくごがとりて嘆かな これは万葉時代の一農家の娘の恋の溜息である。如何にせんとも死なめと云ひて寄る妹にかそかに白粉にほふ これは大正・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 丁度この話の出来事のあった時、いつも女に追い掛けられているポルジイが、珍らしく自分の方から女に懸想していた。女色の趣味は生来解している。これは遺伝である。そこで目差す女が平凡な容貌でないことは、言うまでもない。女は女優である。遊んだり・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・只アーサー大王の御代とのみ言い伝えたる世に、ブレトンの一士人がブレトンの一女子に懸想した事がある。その頃の恋はあだには出来ぬ。思う人の唇に燃ゆる情けの息を吹く為には、吾肱をも折らねばならぬ、吾頚をも挫かねばならぬ、時としては吾血潮さえ容赦も・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫