・・・しかしながら、この文学作品評価の基準の問題は、夥しい論議と自身の未成熟のうちに端初的な数歩を踏みだしたばかりで、以来、文学原理の課題として正当な発展はさせられないでいた。この文学評論の著者は、第二篇の「内容と形式の問題」「文学史と批評の方法・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・主義リアリズムの問題はそのものとして、治安維持法の改悪からひきおこされたさけがたい恐慌は恐慌として、率直明白に別な二つの問題として取扱うところまで、当時のプロレタリア文学者たちは社会人として、理論的に成熟していなかった。悪法によって恐慌する・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・集団として経済、政治、文化の問題をとりあつかい、より社会化されつつあった言説の反面に、同じテムポで成熟するひまのなかった新しい労働者階級の人間性――階級的人格形成の問題がのこされていることは、こんにちただ、文学の問題に止る現実ではない。・・・ 宮本百合子 「しかし昔にはかえらない」
・・・この愛についても例外的な境地に生きる女詩人が、今既にある峯に立っているその境地のなかで、そのような想念と情緒とをどのように展開し、すこやかに渾然と成熟させてゆくか。愛という字をつかわずに、人々の心に愛の火を点じてゆく芸術の奥義が、どんなにし・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・ まるで孵りたての赤むけ鳩のように、感覚ばかりで激しく未熟な生の戦慄を感じ、粗野な智慧の目醒めにいる女学校三年の娘に、どうして母の女性としての成熟しつくした苦悩がわかろう。 その時分、よく蒼い顔をして、痛い頭で学校へ行った。母は出産・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・らかなその心持はいかにも好感がもてるのだけれど、そこには何となしもう一寸ひっかかって来るものが残されていて、そういう一つの女の才能が、娘さんの人生へのなだらかな態度と渾然一致したものとして専門的にまで成熟させられ切れない、現在の女の社会での・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・そこの白い窓では腫れ上った首が気惰るそうに成熟しているのが常だった。 彼はこれらの店々の前を黙って通り、毎日その裏の青い丘の上へ登っていった。丘は街の三条の直線に押し包まれた円錐形の濃密な草原で、気流に従って草は柔かに曲っていた。彼はこ・・・ 横光利一 「街の底」
・・・それは非常に永い期間に成熟して来た一つの様式を示しているのである。しかるにわが国では、そういう古い伝統が、定住農耕生活の始まった弥生式文化の時代に、一度すっかりと振り捨てられたように見える。土器の形も、模様も、怪奇性を脱して非常に簡素になっ・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・この成熟した物理学者は、ちょうど初めて自然界の現象に眼が開けて来た少年のように新鮮な興味で自然をながめている。植物にいろんな種類、いろんな形のあることが、実に不思議でたまらないといった調子である。その話を聞いていると自分の方へもひしひしとそ・・・ 和辻哲郎 「寺田さんに最後に逢った時」
・・・機縁の成熟は「過去」が現在を姙まし、「過去」が現在の内に成長することにほかならなかった。今にして私は「過去を改造する意欲」の意味がようやくわかりかけたように思う。「過去」の重荷に押しつぶされるような人間は、畢竟滅ぶべき運命を担っているの・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫