・・・又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には命日や戒名を覚えることも誇りの一つだった為であろう。二 僕は一人の姉を持っている。しかしこれは病身ながらも二人の子供の母に・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・ 碑の面の戒名は、信士とも信女とも、苔に埋れて見えないが、三つ蔦の紋所が、その葉の落ちたように寂しく顕われて、線香の消残った台石に――田沢氏――と仄に読まれた。「は、は、修行者のように言わっしゃる、御遠方からでがんすかの、東京からな・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……優しい嫁の孝行で、はじめて戒名が出来たくらいだ。俺は勘当されたッて。……何をお前、両親がお前に不足があるものか。――位牌と云うのは俺の位牌だ。――お蔦 ええ。早瀬 お蔦、もう俺ゃ死んだ気になって、お前に話したい事がある。お蔦・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・その代り、寝覚めの悪い気持がしたので、戒名を聞いたりして棚に祭った。先妻の位牌が頭の上にあるのを見て、柳吉は何となく変な気がしたが、出しゃ張るなとも言わなかった。言えば何かと話がもつれて面倒だとさすがに利口な柳吉は、位牌さえ蝶子の前では拝ま・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・「戒名は何とか言ったな?……白雲院道屋外空居士か……なるほどね、やっぱしおやじらしい戒名をつけてくれたね」「そうですね。それにいかに商売でも、ああだしぬけに持ちこまれたんでは、坊さんも戒名には困ったでしょうよ。それでこういった漠然と・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ 墓は染井の墓地にある。戒名は真徹院釈恭篤居士である。 (以上は匆卒 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
出典:青空文庫