・・・紅葉の如きは二人とない大才子であるが、坪内君その前に出でて名を成したがために文学上のアンビションを焔やしたのでさもなければやはり世間並の職業に従事してシャレに戯文を書く位で終ったろう。従来片商売として扱われ、作者自身さえ戯作として卑下してい・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・中には戯文や駄洒落の才を頼んで京伝三馬の旧套を追う、あたかも今の歌舞伎役者が万更時代の推移を知らないでもないが、手の出しようもなくて歌舞伎年代記を繰返していると同じであった。が、大勢は終に滔々として渠らを置去りにした。 かかる折から卒然・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・家人は私を未だ病人あつかいにしているし、この戯文を読むひとたちもまた、私の病気を知っている筈である。病人ゆえに、私は苦笑でもって許されている。 君、からだを頑健にして置きたまえ。作家はその伝記の中で、どのような三面記事をも作ってはいけな・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・と評されていたのだが、そういう戯文的小説のなかへ、二葉亭四迷はロシア文学の影響もあって非常に進歩した心理描写の小説「浮雲」を、当時は珍しい口語文で書いたのであった。 文学を真面目に考えていた少数の人々は二十四歳であった二葉亭のこの作品か・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
出典:青空文庫