・・・川の空をちりちりと銀の鋏をつかうように、二声ほど千鳥が鳴いたあとは、三味線の声さえ聞えず戸外も内外もしんとなった。きこえるのは、薮柑子の紅い実をうずめる雪の音、雪の上にふる雪の音、八つ手の葉をすべる雪の音が、ミシン針のひびくようにかすかな囁・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・妻はおずおずと戸を閉めて戸外に立っていた、赤坊の泣くのも忘れ果てるほどに気を転倒させて。 声をかけたのは三十前後の、眼の鋭い、口髭の不似合な、長顔の男だった。農民の間で長顔の男を見るのは、豚の中で馬の顔を見るようなものだった。彼れの心は・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・すぐ飛び出そうとしたけれども、はだしだと足をけがしておそろしい病気になるとおかあさんから聞いていたから、暗やみの中で手さぐりにさぐったら大きなぞうりがあったから、だれのだか知らないけれどもそれをはいて戸外に飛び出した。戸外も真暗で寒かった。・・・ 有島武郎 「火事とポチ」
・・・この汐に、そこら中の人声を浚えて退いて、果は遥な戸外二階の突外れの角あたりと覚しかった、三味線の音がハタと留んだ。 聞澄して、里見夫人、裳を前へ捌こうとすると、うっかりした褄がかかって、引留められたようによろめいたが、衣裄に手をかけ、四・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・けれども、それは何、少いもの同志だから、萌黄縅の鎧はなくても、夜一夜、戸外を歩行いていたって、それで事は済みました。 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・お玉ヶ池に住んでいた頃、或人が不斗尋ねると、都々逸端唄から甚句カッポレのチリカラカッポウ大陽気だったので、必定お客を呼んでの大酒宴の真最中と、暫らく戸外に佇立って躊躇していたが、どうもそうらしくもないので、やがて玄関に音なうと、ピッタリ三味・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・私は、わい/\人々が、戸外に出て語っているのを夢の中で聞くような心持で聞いたのを覚えています。 やはり、子供の時分のこと、まくわ瓜が大好きでした。その香も私には、よかったのです。まだ、あまりメロンなどを見なかった頃で、この種のものに・・・ 小川未明 「果物の幻想」
・・・ 一枝はだまって暗い戸外へ出た。電報は「ゾ ウサンノタメシヨウガ ツヤスミヘンジ ヨウ」カエラヌ」ツルキチ」鶴さんからオトラ婆さんに宛てたものだった。婆さんはあたしゃ毛嫌いされていたわけじゃないと、すぐ旅ごしらえして、鶴さんのところへ行・・・ 織田作之助 「電報」
・・・おりから伏見には伊勢のお札がどこからともなく舞い降って、ええじゃないか、ええじゃないか、淀川の水に流せばええじゃないかと人々の浮かれた声が戸外を白く走る風とともに聴えて、登勢は淀の水車のようにくりかえす自分の不幸を噛みしめた。 ところが・・・ 織田作之助 「螢」
母親がランプを消して出て来るのを、子供達は父親や祖母と共に、戸外で待っていた。 誰一人の見送りとてない出発であった。最後の夕餉をしたためた食器。最後の時間まで照していたランプ。それらは、それらをもらった八百屋が取りに来・・・ 梶井基次郎 「過古」
出典:青空文庫