・・・ もし梅水の出店をしたのが、近い処は、房総地方、あるいは軽井沢、日光――塩原ならばいうまでもない。地の利によらないことは、それが木曾路でも、ふとすると、こんな処で、どうした拍子、何かの縁で、おなじ人に、逢うまじきものでもない、と思ったろ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・呉を亡ぼすの罪を正して西施を斬る 玉梓亡国の歌は残つて玉樹空し 美人の罪は麗花と同じ 紅鵑血は灑ぐ春城の雨 白蝶魂は寒し秋塚の風 死々生々業滅し難し 心々念々恨何ぞ窮まらん 憐れむべし房総佳山水 渾て魔雲障霧の中に落つ ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・あらず、あらず、時は必ず来たるべし―― 大空隈なく晴れ都の空は煤煙たなびき、沖には真帆片帆白く、房総の陸地鮮やかに見ゆ、射す日影、そよぐ潮風、げに春ゆきて夏来たりぬ、楽しかるべき夏来たりぬ、ただわれらの春の永久に逝きしをいかにせん――・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 伊豆や相模の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総海岸を最初は撰んだが、海岸はどうも騒雑の気味があるので晩成先生の心に染まなかった。さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・ 八月には、僕は房総のほうの海岸で凡そ二月をすごした。九月のおわりまでいたのである。帰ってすぐその日のひるすぎ、僕は土産の鰈の干物を少しばかり持って青扇を訪れた。このように僕は、ただならぬ親睦を彼に感じ、力こぶをさえいれていたのであった・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・むこうにかすんで見えるのが房総の山々でございます。あれが伊豆山。あれが魚見崎。あれが真鶴崎。」「あれはなんです。あのけむりの立っている島は。」私は海のまぶしい反射に顔をしかめながら、できるだけ大人びた口調で尋ねた。「大島。」そう簡単・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・駿河の富士や房総の山も見える日があろう。ついでに屋上さらに三四百尺の鉄塔を建てて頂上に展望台を作るといいと思う。その側面を広告塔にすれば気球広告よりも有効で、その料金で建設費はまもなく消却されるであろう。高い所に上がりたがるのは人間というも・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・もっとも十年ほど前に予が房総を旅行した時に見分した所でも上総をあるく間は少しもげんげんを見た事がなかったので、この辺には全くないのかと思うたら、房州にはいってからげんげんを見た事を記憶して居る。上総にもげんげんはないではないが、余り多くない・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
出典:青空文庫