・・・ある時には自分が現在、広大な農園、立派な邸宅、豊富な才能、飲食物等の所有者であるような幻しに浮かされたが、また神とか愛とか信仰とかいうようなことも努めて考えてみたが、いずれは同じく自分に反ってくる絶望苛責の笞であった。そして疲れはてては咽喉・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そしてこれが村の人達の共同の所有になっているセコノタキ温泉なのだった。 浴漕は中で二つに仕切られていた。それは一方が村の人の共同湯に、一方がこの温泉の旅館の客がはいりに来る客湯になっていたためで、村の人達の湯が広く何十人もはいれるのに反・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・かれが支店の南洋にあるを知れる友らはかれ自らその所有の船に乗りて南洋に赴くを怪しまぬも理ならずや。ただひたすらその決行を壮なりと思えるがごとし。 女の解し難きものの一をわが青年倶楽部の壁内ならでは醸さざる一種の気なりといわまほし。今の時・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・財の私的所有ならびに商業は倫理的に正しきものなりや? マルクスが問うてみせるまで、常人はそれほどにも自分らの禍福の根因であるこの問いを問うことができなかった。 天才の書によってわれわれは自分の力では開き得ない宇宙と人間性との奥深き扉をの・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・郭の所有物を調べた。ズックの袋も、破れ靴も、夏の帽子も何一つ残っていなかった。「くそッ! 畜生! 百円がところ品物を持ち逃げしやがった!」おやじは口をとがらしていた。 呉清輝と田川とはおやじが扉の外に見えなくなると、吹きだすようにヒ・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・そしてまた誰か他人の所有に優るところの面白い、味のある、平凡ならぬ骨董を得ることを悦ばぬ者があろう。需むる者が多くて、給さるべき物は少い。さあ骨董がどうして貴きが上にも貴くならずにいよう。上は大名たちより、下は有福の町人に至るまで、競って高・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 同じ士族屋敷風の建物でも、これはいくらか後で出来たものらしく、蚕の種紙をあきなう町の商人の所有に成っていた。高瀬はすこしばかりの畠の地所を附けてここを借りることにした。 小使いの音吉が来て三尺四方ばかりの炉を新規に築き上げてくれた・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・自分の所有権が、みじんも損われないではないか。御不浄拝借よりも更に、手軽な依頼ではないか。私は人から煙草の火の借用を申し込まれる度毎に、いつもまごつく。殊にその人が帽子をとり、ていねいな口調でたのんだ時には、私の顔は赤くなる。はあ、どうぞ、・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・またある時はどこかの二等線路を一手に引き受けられる程の数の機関車を所有していた。またある時は、平生活人画以上の面白味は解せないくせに、歴代の名作のある画廊を経営していた。一体どうしてこんな事件に続々関係するかと云うに、それはこうである。墺匈・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・「被告の所有者たる襟は没収する限りでないから、一応被告に下げ渡します」と、裁判長が云った。「あの差押えた品を渡せ」と云うや否や、押丁はおれに例の紙包みを持って来て渡した。 その時おれは気を失った。それから醒覚したのは、監獄の部屋の中・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫