・・・を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。しかしこの本も挿し画の一枚に僕等人間と変りのない、目鼻のある歯車ばかり並べていた。(それは或独逸僕はいつか憂鬱の中に反抗的精神の起るのを感じ、やぶれかぶれになった賭博狂のように・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 阿房宮より可恐しく広いやと小宮山は顛倒して、手当り次第に開けた開けた。幾度遣っても笥の皮を剥くに異ならずでありまするから、呆れ果ててどうと尻餅、茫然四辺をみまわしますると、神農様の画像を掛けた、さっき女が通したのと同じ部屋へ、おやおや・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・僕は京都へ行って、手当り次第に古本を買い占めようと思ったんだよ。旧券で買い占めて置いて、新券になったら、読みもしないで、べつの古本屋へ売り飛ばすんだ」「なるほど、一万円で買うて三割引で売っても七千円の新券がはいるわけだな」「しかし、・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・なりはせぬかと心配のあまり、えい、いっそ、そのような気取った書出しを用いてやれ、とつまり毒を以朝、眼がさめてから、夜、眠るまで、私の傍に本の無かった事は無いと言っても、少しも誇張でないような気がする。手当り次第、実によく読んだ。そうして私は・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・中学時代の夏冬の休暇には、自分の生家でごろごろしていて、兄たちの蔵書を手当り次第読みちらし、どこへ旅行しようともしなかったし、また高等学校時代の休暇には、東京にいる彫刻家の、兄のところへ遊びに行き、ほとんど生家に帰らず、東京の大学へはいるよ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・いつもびくびくして、自己の力を懐疑し、心の落ちつく場所は無く、お寺へかよって禅を教えてもらったり、或いは部屋に閉じこもって、手当り次第、万巻いや千巻くらいの書を読みちらしたり、大酒を飲んだり、女に惚れた真似をしたり、さまざまに工夫してみたの・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・太郎は毎日のように蔵の中にはいって惣助の蔵書を手当り次第に読んでいた。ときどき怪しからぬ絵本を見つけた。それでも平気な顔して読んでいった。 そのうちに仙術の本を見つけたのである。これを最も熱心に読みふけった。縦横十文字に読みふけった。蔵・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 学生の数も少なかったから図書室などもほとんど我物顔に出入りして手当り次第にあらゆる書物を引っぱり出してはあてもなく好奇心を満足しそうなものを物色した。古い『フィル・マグ』〔Philosophical Magazine〕の中から「首釣の・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・意気地なく泣きながらも死力を出して、何処でも手当り次第に引っかき噛みつくのであった。喧嘩を慰みと思っている軍人党と、一生懸命の弱虫との挌闘にはたいてい利口な軍人の方が手を引く。これはどちらが勝ってどちらが負けたのだか、今考えても判らない。・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ただ手当り次第にやる。述作に対すると思いついた事をいい加減に述べる。だから評し尽したのだか、まだ残っているのか当人にも判然しない。西洋も日本も同じ事である。 これらの条項を遺憾なく揃えるためには過去の文学を材料とせねばならぬ。過去の批評・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
出典:青空文庫