・・・およそ二十枚くらい画いて来たのだが、仙之助氏には、その中でもこの小さい雪景色の画だけが、ちょっと気にいっていたので、他の二十枚程の画は、すぐに画商に手渡しても、その一枚だけは手許に残して、アトリエの壁に掛けて置いた。勝治は平気でそれを持ち出・・・ 太宰治 「花火」
・・・上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を・・・ 太宰治 「待つ」
・・・ 僕は君に軍刀を手渡し、「どうもこの紐は趣味が悪いね。」と言った。軍刀の紫の袋には、真赤な太い人絹の紐がぐるぐる巻きつけられ、そうして、その紐の端には御ていねいに大きい総などが附けられてある。「先生には、まだ色気があるんですね。・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・家人は着物を着かえながら、お金は失礼ゆえ、そのうち私が東京へ出て袋物かなにかのお品を、と言ったが、私は、お金のほうがいいのだ、と言って、二円、家人に手渡した。 家人がお隣りへ行って来ての話に、お隣りの御主人は名古屋のほうの私設鉄道の駅長・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・その様子を見かねて母は、祖父に、れいの勲章を、そっと手渡した。去年の大晦日に、母は祖父の秘密のわずかな借銭を、こっそり支払ってあげた功労に依って、その銀貨の勲章を授与されていたのである。「一ばん出来のよかった人に、おじいさんが勲章を授与・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・大勢で車座に坐って茶碗でも石塊でも順々に手渡しして行く。雷の音が次第に急になって最後にドシーンと落雷したときに運拙くその廻送中の品を手に持っていた人が「罰」を受けて何かさせられるのである。 パリに滞在中下宿の人達がある夜集まって遊んでい・・・ 寺田寅彦 「追憶の冬夜」
・・・なんの気なしにながめていたら、N教授がそれに気づくと急いでやって来て自分の手からひったくるようにそれを取り上げてしまった、そうしてボーイを呼んでその原稿いっさいを紙包みにしてひもで縛らせ、それを領事に手渡しした。そうして、それを封印をして本・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ 梶はそう一言妻に伝って新聞を手渡した。一面に詰った黒い活字の中から、青い焔の光線が一条ぶつと噴きあがり、ばらばらッと砕け散って無くなるのを見るような迅さで、梶の感情も華ひらいたかと思うと間もなく静かになっていった。みな零になったと梶は・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫