・・・ と言いながら、局員は爺さんにお金を手渡す。 かれは、お金を受取り、それから、へへん、というように両肩をちょっと上げ、いかにもずるそうに微笑んで私のところへ来て、「御本人は、あの世へ行ったでごいす。」 私は、それから、実にし・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエル・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ようやく、私はいちまいの紙幣をポケットから抜きとり、それを十円紙幣であるか五円紙幣であるか確かめてから、女給に手渡すのである。釣銭は、少いけれど、と言って見むきもせず全部くれてやった。肩をすぼめ、大股をつかってカフェを出てしまって、学校の寮・・・ 太宰治 「逆行」
・・・水曜日。手渡す時の仕草が問題。○ネロの孤独に就いて。○どんないい人の優しい挨拶にも、何か打算が在るのだと思うと、つらいね。○誰か殺して呉れ。○以後、洋服は月賦のこと。断行せよ。○本気になれぬ。○ゆうべ、うらない看ても・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ 観世縒に火を点じて、その火の消えないうちに、命じられたものの名を言って隣の人に手渡す、あの遊戯をはじめた。ちっとも役に立たないもの。はい。「片方割れた下駄。」「歩かない馬。」「破れた三味線。」「写らない写真機。」「・・・ 太宰治 「秋風記」
・・・必ず夫婦にしていただく条件で、私は兄に女を手渡す事にした。手渡す驕慢の弟より、受け取る兄のほうが、数層倍苦しかったに違いない。手渡すその前夜、私は、はじめて女を抱いた。兄は、女を連れて、ひとまず田舎へ帰った。女は、始終ぼんやりしていた。ただ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・どうしてもその着物を母のお目に掛けなければならぬ窮地におちいった時には、苦心してお金を都合して兄に手渡す。勝治は、オーライなどと言って、のっそり家を出る。着物を抱えてすぐに帰って来る事もあれば、深夜、酔って帰って来て、「すまねえ」なんて言っ・・・ 太宰治 「花火」
・・・録すにも価せぬ……のその閨に於ける鼻たかだかの手柄話に就いては、私、一笑し去りて、余は、われより年若き、骨たくましきものに、世界歴史はじまりて、このかた、一筋に高く潔く直く燃えつぎたるこの光栄の炬火を手渡す。心すべきは、きみ、ロヴェスピエル・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・ 何気ないような快活な返事をして、細君は彼に薬缶を手渡す。 彼が部屋を出てから、すぐに私は細君にたずねた。「いつから、あんなになったのですか?」「え?」 と、私の質問の意味がわからないような目つきで、無心らしく反問する。・・・ 太宰治 「女神」
・・・「落さないように、よごさないように次の人に手渡すのが第一だ」という結論に到達した。五年ばかりの年月は、「女の一生」において更に自分の期待を裏切られた親を、株ですった人間の落胆に比較せしめている。允子の失望に対して、往年の幼馴染、昌二郎は云っ・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫