・・・こちの人は、京町の交番に新任のお巡査さん――もっとも、角海老とかのお職が命まで打込んで、上り藤の金紋のついた手車で、楽屋入をさせたという、新派の立女形、二枚目を兼ねた藤沢浅次郎に、よく肖ていたのだそうである。 あいびきには無理が出来る。・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
ある日、おじいさんはいつものように、小さな手車を引きながら、その上に、くずかごをのせて、裏道を歩いていました。すると、一軒の家から、呼んだのであります。 いってみると、家の中のうす暗い、喫茶店でありました。こわれた道具や、不用のが・・・ 小川未明 「おじいさんが捨てたら」
・・・女たちで、すはだしのまま、つかれ青ざめてよろよろと歩いていくのがどっさりいました。手車や荷馬車に負傷者をつんでとおるのもあり、たずね人だれだれと名前をかいた旗を立てて、ゆくえの分らない人をさがしまわる人たちもあります。そのごたごたした中を、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・ 最後の場面で、花売りの手車と自動車とが先刻衝突したままの位置で人けのない町のまん中に、降りしきる驟雨にぬれている。あの光景には実に言葉で言えない多くの内容がある。これもその前の弥次のけんかと見物の群集とがなかったら、おそらくなんの意味・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・茄玉子林檎バナナを手車に載せ、後から押してくるものもある。物売や車の通るところは、この別天地では目貫きの大通であるらしい。こういう処には、衝立のような板が立ててあって、さし向いの家の窓と窓とが、互に見えないようにしてある。 わたくしは路・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 颯っと短いマントに短剣を吊って、素早く胡瓜売りの手車の出ている角を曲ったのは、舞踊で世界的名声のあるカザークの若者だ。 ホテルの食堂で、英語、ドイツ語がロシア語と混って響くばかりでない。喉音の多い東洋語が活々とあっちこっちで交わさ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
出典:青空文庫