・・・……しかしふと指に触れたズボンの底の六十何銭かはたちまちその夢を打ち壊した。今日はまだやっと十何日かである。二十八日の月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒を受け取るのにはかれこれ二週間も待たなければならぬ。が、彼の楽しみにしていた東京へ出かけ・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・しかし、嫌いだというのは打ち壊しだ。そう思ったので、「『好き』や」 好きという字にカッコをつけた気持で答えた。それで、紀代子ははじめて豹一を好きになる気持を自分に許した。 一週間経ったある日、八十二歳の高齢で死んだという讃岐国某・・・ 織田作之助 「雨」
・・・すなわち物の関係を味わい得んがためには、その物がどこまでも具体的でなくてはならぬ、知意の働きで、具体的のものを打ち壊してしまうや否や、文芸家はこの関係を味わう事ができなくなる。したがってどこまでも具体的のものに即して、情を働かせる、具体の性・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 濠を渡せば門も破ろう、門を破れば天主も抜こう、志ある方に道あり、道ある方に向えとルーファスは打ち壊したる扉の隙より、黒金につつめる狼の顔を会釈もなく突き出す。あとに続けと一人が従えば、尻を追えと又一人が進む。一人二人の後は只我先にと乱・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」 細君がそう云った。 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・しかし、今はもうその方が何方にとっても得策であるに拘らず、強いてそれを打ち壊してまでも自分は自分の博愛を秋三に示さねばならないか? いやそれよりも、一体秋三とは何者か? そう思うと、彼は今一段自分の狡猾さを増して、自分から明らかに堂々と以後・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫