・・・ うっかり緩めた把手に、衝と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途の右側に、真赤な人のなりがふらふらと立揚った。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘の姨見舞か・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・神棚の燈明をつけるために使う燧金には大きな木の板片が把手についているし、ほくちも多量にあるから点火しやすいが、喫煙用のは小さい鉄片の頭を指先で抓んで打ちつけ、その火花を石に添えたわずかな火口に点じようとするのだから六かしいのである。 火・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・こわれた虫眼鏡が把手をつけただけでたちまちにして顕微鏡になったようなものである。しかしアースやアンテナを引っぱり廻わす事なしに役に立つ感度の好い機械としての価値はもう永久に失われたようである。東京市会議員のような機械になってしまったのは無残・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・縄でしばった南京袋の前だれをあてて、直径五寸もある大きな孟宗竹の根を両足の親指でふんまえて、桶屋がつかうせんという、左右に把手のついた刃物でけずっていた。ガリ、ガリ、ガリッ……。金ぞくのようにかたい竹のふしは、ときどきせんをはねかえしてから・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 扉の把手を握ったまま、れんはあわてて二三度腰をかがめた。「はい。はいはい」 扉をしめながら、彼女は更に一つをつけ加えた。「はい。――」 彼は天井を見ながら我知らず苦笑を洩した。が、その笑が消え切らないうちに、彼の胸には・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・傍で、把手を廻しながら彼女の楽しむ様子を眺め、私はレコードを買って来てよいことをしたと思った。昔から祖母は謡曲好きなのに、近頃若い者達の買いためるレコードは、皆西洋音楽のものであった。それらもすきでききはしたが、時々思いついたように、謡のは・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
出典:青空文庫