・・・その時また顫えが来そうになったので、フレンチは一しょう懸命にそれを抑制しようとした。 広間の真中にやはり椅子のようなものが一つ置いてある。もしこの椅子のようなものの四方に、肘を懸ける所にも、背中で倚り掛かる所にも、脚の所にも白い革紐が垂・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・、すなわちその社会にもはや新らしき声の死んだ時、人がいたずらに過去と現在とに心を残して、新らしき未来を忘るるの時、保守と執着と老人とが夜の梟のごとく跋扈して、いっさいの生命がその新らしき希望と活動とを抑制せらるる時である。人性本然の向上的意・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・この際自由の抑制、すなわち善というわけにいかぬものがある。 この男性にあらわれる生活精力上、審美上、優生学上の天然の意志については、婦人は簡単に獣慾とか、不貞操とか考えたのでは実相にあたらない。したがってただそれだけで、夫の人格を評価し・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・そして倫理学はその実践への機を含んでしかも、直接に発動せず、静かに、謙遜に、しかも勇猛に徹底して、その思想の統一をとげ、不落の根拠を築きあげようと企図するものであり、そこには抑制せられたる実行意志が黙せる雷の如くに被覆されているのである。・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・中隊では、おだやかに、おだやかにと、兵士達を抑制していた。しかし、兵員は充実して置かなければならなかった。 二三人の小人数で、日本兵が街を歩いていると、武器を持ったアメリカ兵は、挑戦的につめよって来た。 兵士はヒヤ/\した。同時に、・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・を読み、その興奮から、二十年間の抑制を破り、思い切って手紙を書いたと前に申し上げましたが、実は、その興奮の他に、私の此の行きづまりをも訴えたかったからでありました。二十年間、私の歩んで来た文学の道に、このように大きな疑問が生じたのは、はじめ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・彼は、その衝動を抑制して旅に出なかった時には、自己に忠実でなかったように思う。自己を欺いたように思う。見なかった美しい山水や、失われた可能と希望との思いが彼を悩ます。よし現存の幸福が如何に大きくとも、この償い難き喪失の感情は彼に永遠の不安を・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・三郎のなまなかの抑制心がかえって彼自身にはねかえって来て、もうはややけくそになり、どうにでもなれと口から出まかせの大嘘を吐いた。私たちは芸術家だ。そういう嘘を言ってしまってから、いよいよ嘘に熱が加って来たのであった。私たち三人は兄弟だ。きょ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ しかし案内者や先達の中には、自己のオーソリティに対する信念から割り出された親切から個々の旅行者の自由な観照を抑制する者もないとは言われない。旅行者が特別な興味をもつ対象の前にしばらく歩を止めようとするのを、そんなものはつまらないから見・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・自分の見る点では、内匠頭はいよいよ最後の瞬間まではもっとずっと焦躁と憤懣とを抑制してもらいたい。そうして最後の刹那の衝動的な変化をもっと分析して段階的加速的に映写したい。それから上野が斬られて犬のようにころがるだけでなく、もう少し恐怖と狼狽・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
出典:青空文庫