・・・大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の目を信じなかった。が、両手にさわって見ると、実際両脚とも、腿から下は空気を掴・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・紳士は背のすらっとした、どこか花車な所のある老人で、折目の正しい黒ずくめの洋服に、上品な山高帽をかぶっていた。私はこの姿を一目見ると、すぐにそれが四五日前に、ある会合の席上で紹介された本多子爵だと云う事に気がついた。が、近づきになって間もな・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・彼はその夕明りの中にしみじみこの折目のついた十円札へ目を落した。鼠色の唐艸や十六菊の中に朱の印を押した十円札は不思議にも美しい紙幣である。楕円形の中の肖像も愚鈍の相は帯びているにもせよ、ふだん思っていたほど俗悪ではない。裏も、――品の好い緑・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・それを、茶の小倉の袴が、せっせと折目をつけては、行儀よく積み上げている。向こうのすみでは、原君や小野君が机の上に塩せんべいの袋をひろげてせっせと数を勘定している。 依田君もそのかたわらで、大きな餡パンの袋をあけてせっせと「ええ五つ、十う・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・ようよう六つぐらいの子供で、着物も垢じみて折り目のなくなった紺の単衣で、それを薄寒そうに裾短に着ていた。薄ぎたなくよごれた顔に充血させて、口を食いしばって、倚りかかるように前扉に凭たれている様子が彼には笑止に見えた。彼は始めのうちは軽い好奇・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ その三宝の端に、薄色の、折目の細い、女扇が、忘れたように載っていた。 正面の格子も閉され、人は誰も居ない……そっと取ると、骨が水晶のように手に冷りとした。卯の花の影が、ちらちらと砂子を散らして、絵も模様も目には留まらぬさきに――せ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・男もので手さえ通せばそこから着て行かれるまでにして、正札が品により、二分から三両内外まで、膝の周囲にばらりと捌いて、主人はと見れば、上下縞に折目あり。独鈷入の博多の帯に銀鎖を捲いて、きちんと構えた前垂掛。膝で豆算盤五寸ぐらいなのを、ぱちぱち・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 汗ばんだ猪首の兜、いや、中折の古帽を脱いで、薄くなった折目を気にして、そっと撫でて、杖の柄に引っ掛けて、ひょいと、かつぐと、「そこで端折ったり、じんじんばしょり、頬かぶり。」 と、うしろから婦がひやかす。「それ、狐がいる。・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・真っ黒なコロッとした虱が、折目という折目にウジョ/\たかっていた。 一度、六十位の身体一杯にヒゼンをかいたバタヤのお爺さんが這入ってきたことがあった。エンコに出ていて、飲食店の裏口を廻って歩いて、ズケにありついている可哀相なお爺さんだっ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・わが頬は、涙に濡れ、ほの暗きランプの灯にて、ひとり哀しき絶望の詩をつくり、おのれ苦しく、命のほどさえ危き夜には、薄き化粧、ズボンにプレス、頬には一筋、微笑の皺、夕立ちはれて柳の糸しずかに垂れたる下の、折目正しき軽装のひと、これが、この世の不・・・ 太宰治 「喝采」
出典:青空文庫