・・・肩から袖口にかけての折目がきちんと立っているま新しい久留米絣の袷を着ていたのである。たしかに青年に見えた。あとで知ったが、四十二歳だという。僕より十も年うえである。そう言えば、あの男の口のまわりや眼のしたに、たるんだ皺がたくさんあって、青年・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・その襟巻を行儀よく二つ折りにした折り目に他方の端をさし込んだその端がしわ一つなくきちんとそろって結び文の端のように、おたいこ結びの帯の端のように斜めに胸の上に現われていた。こういういで立ちをした白皙無髯、象牙で刻したような風貌が今でも実には・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・なるほど充分に雨を含んだ外套の裾と、中折帽の庇から用捨なく冷たい点滴が畳の上に垂れる。折目をつまんで抛り出すと、婆さんの膝の傍に白繻子の裏を天井に向けて帽が転がる。灰色のチェスターフィールドを脱いで、一振り振って投げた時はいつもよりよほど重・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・デスクにむかい、折目の立った整った身なりの四十がらみの人であった。 中野重治が、訪問のわけを話した。作家としての生活権を奪われることは迷惑であることを話した。かりに、役人である人が、突然、無警告にクビになって、その朝から困らないだろうか・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ 髪をこってりと櫛目だてて分け、安物だがズボンの折目はきっちり立った荒い縞背広を着たその男は、黒い四角い顔で私を睨み、「そこへかけて」 顎で椅子をしゃくった。自分は腰をおろした。縞背広は向い合う場所にかけ、「警視庁から来た者・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・と、はる子の前へ折り目を拡げた。女らしいペン字の上に細かい更紗飾りを撒いたように濃い小豆色の沈丁の花が押されていた。強い香が鼻翼を擽った。春らしい気持の香であった。「私もこの花は好きよ」「いいでしょう?」 千鶴子は前垂れをか・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・白布がいやに折目正しく、きっぱりかけてある。その上に、十二三箇小さな、黄色い液体の入った硝子瓶がちらばら置かれている。白布の前から一枚ビラが下っていた。「純良香水。一瓶三十五銭」 台の後に男が立っているのだが、赧っぽい髪と、顎骨の張・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ その日まで着て居た着物をぬいでしっとりと折目のついたのに着かえた。 細っこい胴に巻きつく伊達巻のサヤサヤと云う気軽な音をききながら、 木の深い森へ行きとうござんすねえ。 すぐそこの――ほら、 先に行きましたっけねえ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
出典:青空文庫