・・・ 遠藤は妙子を抱えたまま、おごそかにこう囁きました。 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 私たち三人は濡れたままで、衣物やタオルを小脇に抱えてお婆様と一緒に家の方に帰りました。若者はようやく立上って体を拭いて行ってしまおうとするのをお婆様がたって頼んだので、黙ったまま私たちのあとから跟いて来ました。 家に着くともう妹の・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・ 内じゃ、年よりを抱えていましょう。夜が明けても、的はないのに、夜中一時二時までも、友達の許へ、苦い時の相談の手紙なんか書きながら、わきで寝返りなさるから、阿母さん、蚊が居ますかって聞くんです。 自分の手にゃ五ツ六ツたかっているのに・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ 桑を摘んでか茶を摘んでか、笊を抱えた男女三、四人、一隅の森から現われて済福寺の前へ降りてくる。 お千代は北の幸谷なる里方へ帰り、省作とおとよは湖畔の一旅亭に投宿したのである。 首を振ることもできないように、身にさし迫った苦しき・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・かつ、僕がやがて新らしい脚本を書き出し、それを舞台にのぼす時が来たら、俳優の――ことに女優の――二、三名は少くとも抱えておく必要があるので、その手はじめになるのだということをつけ加えた。「そりゃア御もっともです」と、お袋は相槌を打って、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・毎日門前に商人が店を出したというほど流行したが、実収の多いに任して栄耀に暮し、何人も妾を抱えて六十何人の児供を産ました。その何番目かの娘のおらいというは神楽坂路考といわれた評判の美人であって、妙齢になって御殿奉公から下がると降るほどの縁談が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そして、かきの木の下に立って、待っていると、信吉は、小さな紙箱を抱えてもどってきました。「これです。」 こういうと、博士は、その一つ、一つを手に取り上げてながめていましたが、「これは、私のまだ見たことのない、珍しいものです。」と・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・と言う上さんの声がして、間もなく布団を抱えて上ってきた。 男はその布団を受取って、寝床と寝床と押並んだ間を無遠慮に押分けて、手敏く帯を解いて着物を脱いで、腹巻一つになってスポリと自分の寝床に潜ぐりこんだ。そして寝床の中で腹巻の銭をチャラ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ しかし、間もなく朦朧俥夫の取締規則が出来て、溝の側の溜場にも屡しばしばお手入れがあってみると、さすがに丹造も居たたまれず、暫らくまごまごした末、大阪日報のお抱え俥夫となった。殊勝な顔で玄関にうずくまり、言葉つきもにわかに改まって丁寧だ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・…… やがて、新モスの小ぎれ、ネル、晒し木綿などの包みを抱えて、おせいは帰ってきた。「そっくりで、これで六円いくらになりましたわ。綿入り二枚分と、胴着と襦袢……赤んぼには麻の葉の模様を着せるものだそうだから」……彼女は枕元で包みをひ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫