・・・ 折から撃ッて来た拍子木は二時である。本見世と補見世の籠の鳥がおのおの棲に帰るので、一時に上草履の音が轟き始めた。 三 吉里は今しも最後の返辞をして、わッと泣き出した。西宮はさぴたの煙管を拭いながら、戦える吉里の・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 私は、御飯時分になると、台所の土間に両足下りて、うこぎ垣越に往還に向い拍子木をパン、パン、パンとたたいた。あたりはしんとした夕暮の畑だから、音はすんで響き渡る。するとかなたの花畑の裏の障子がさらりと明く。もうぼんやりした薄明で内の人の姿は・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・白と黒の市松模様の油障子を天井にして、色とりどりの菊の花の着物をきせられた活人形が、芳しくしめっぽい花の香りと、人形のにかわくささを場内に漲らせ、拍子木につれてギーとまわる廻り舞台のよこに、これも出方姿の口上がいて、拍子木の片方でそっちを指・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・夜番の拍子木の音が響いている。[自注22]国府津――百合子の実父たちの海岸の家。[自注23]太郎――百合子の甥。 十二月二十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より〕 第四信。 十二月二十六日からはじ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 火の番の拍子木が馬鹿に透る。 一町ほど先の角をまがってもまだきこえて来る。 こっちがしずかで居るので私の部屋から一番近い隣の家の茶の間での話し声がわけは分らぬなりにはっきりきこえて来る。 火の番の音をきくと、「お稲荷さ・・・ 宮本百合子 「夜寒」
・・・提灯を持って、拍子木をたたいて来る夜回りのじいさんに、お奉行様の所へはどう行ったらゆかれようと、いちがたずねた。じいさんは親切な、物わかりのいい人で、子供の話をまじめに聞いて、月番の西奉行所のある所を、丁寧に教えてくれた。当時の町奉行は、東・・・ 森鴎外 「最後の一句」
出典:青空文庫