・・・兵站監部のある大尉なぞは、この滑稽を迎えるため、ほとんど拍手さえしようとした。ちょうどその途端だった。突然烈しい叱咤の声は、湧き返っている笑の上へ、鞭を加えるように響き渡った。「何だ、その醜態は? 幕を引け! 幕を!」 声の主は将軍・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・一瞬間声を呑んだ機械体操場の生徒たちは、鉄棒の上の丹波先生を仰ぎながら、まるで野球の応援でもする時のように、わっと囃し立てながら、拍手をした。 こう云う自分も皆と一しょに、喝采をしたのは勿論である。が、喝采している内に、自分は鉄棒の上の・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 目ばかり光って、碧額の金字を仰いだと思うと、拍手のかわりに――片手は利かない――痩せた胸を三度打った。「願いまっしゅ。……お晩でしゅ。」 と、きゃきゃと透る、しかし、あわれな声して、地に頭を摺りつけた。「願いまっしゅ、お願・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 馬鹿が拍手を拍った。「御前様。」「杢か。」「ひひひひひ。」「何をしておる。」「少しも売れませんわい。」「馬鹿が。」 と夜陰に、一つ洞穴を抜けるような乾びた声の大音で、「何を売るや。」「美しい衣服だが・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・乗客は狂喜の声を揚げて、甲板の上に躍れり。拍手は夥しく、観音丸万歳! 船長万歳! 乗合万歳! 八人の船子を備えたる艀は直ちに漕寄せたり。乗客は前後を争いて飛移れり。学生とその友とはやや有りて出入口に顕れたり。その友は二人分の手荷物を抱え・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・風に鳴子の音高く、時に、ようようと蔭にて二三人、ハタハタと拍手の音。お蔦 でも不思議じゃありませんか。早瀬 何、月夜がかい。お蔦 まあ、いくら二人が内証だって、世帯を持てば、雨が漏っても月が射すわ。月夜に不思議は・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・何しろ洋楽といえば少数の文明開化人が横浜で赤隊の喇叭を聞いたばかりの時代であったから、満場は面喰って眼を白黒しながら聴かされて煙に巻かれてピシャピシャと拍手大喝采をした。文部省が音楽取調所を創設した頃から十何年も前で、椿岳は恐らく公衆の前で・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・のサワリで、ぱちぱちと音高く拍手した。手を顔の上にあげ、人眼につき、ひとびとは顔をしかめた。軽部の同僚の若い教員たちは、何か肚の中でお互いの妻の顔を想い泛べて、ずいぶん頼りない気持を顔に見せた。校長はお君の拍手に満悦したようだった。 三・・・ 織田作之助 「雨」
・・・やがて佐々木は、発起人を代表して、皆なの拍手に迎えられて、起ちあがった。それはかなり正直な、明快な、挨拶ぶりであった。「……いったいに笹川君の書くものは、これまでのところではあまり人気のある方では、なかったようです。それで、今度の笹川君・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・一つの曲目が終わって皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜はことに強いられたように凝然としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
出典:青空文庫