・・・ことに、フロックコオトに山高帽子をかぶった、年よりの異人が、手をあげて、船の方を招くようなまねをしていたのは、はなはだ小説らしい心もちがした。「君は泣かないのかい」 僕は、君の弟の肩をたたいて、きいてみた。「泣くものか。僕は男じ・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・ ミスラ君は後を振返って、壁側の書棚を眺めましたが、やがてその方へ手をさし伸ばして、招くように指を動かすと、今度は書棚に並んでいた書物が一冊ずつ動き出して、自然にテエブルの上まで飛んで来ました。そのまた飛び方が両方へ表紙を開いて、夏の夕・・・ 芥川竜之介 「魔術」
・・・外の春日が、麗かに垣の破目へ映って、娘が覗くように、千代紙で招くのは、菜の花に交る紫雲英である。…… 少年の瞼は颯と血を潮した。 袖さえ軽い羽かと思う、蝶に憑かれたようになって、垣の破目をするりと抜けると、出た処の狭い路は、飛々の草・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と高慢な笑い方で、「船からよ、白い手で招くだね。黒親仁は俺を負って、ざぶざぶと流を渡って、船に乗った。二人の婦人は、柴に附着けて売られたっけ、毒だ言うて川下へ流されたのが遁げて来ただね。 ずっと川上へ行くと、そこらは濁らぬ。山・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・二の烏 恋も風、無常も風、情も露、生命も露、別るるも薄、招くも薄、泣くも虫、歌うも虫、跡は野原だ、勝手になれ。(怪しき声にて呪す。一と三の烏、同時に跪いて天を拝す。風一陣、灯はじめ、月なし、この時薄月出づ。舞台明くなりて、貴・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・今度は前の椿が、ちょっと傾いて招くように見えて、それが寄るのを、いま居た藻の上に留めて、先のは漾って、別れて行く。 また一輪浮いて来ます。――何だか、天の川を誘い合って、天女の簪が泳ぐようで、私は恍惚、いや茫然としたのですよ。これは風情・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・ 芝居がえりの過ぎたあと、土塀際の引込んだ軒下に、潜戸を細目に背にした門口に、月に青い袖、帯黒く、客を呼ぶのか、招くのか、人待顔に袖を合せて、肩つき寒く佇んだ、影のような婦がある。と、裏の小路からふらりと出て、横合からむずと寄って肩を抱・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・人形使 (ものいわず、皺手をさしのべて、ただ招く。招きつつ、あとじさりに次第に樹立に入夫人 どうするのさ。どうするのよ。舞台しばらく空し。白き家鴨、五羽ばかり、一列に出でて田の草の間を漁る。行春の景を象徴するもののごとし。・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・吊す 乞ふ死是れ生真なりがたし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め 仙窟の煙霞老身を寄す 錬汞服沙一日に非ず 古木再び春に逢ふ無かる可けん 河鯉権守夫れ遠謀禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり防を欠く 塚中血は・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・と、かわいらしい、ほんとうに心からやさしい声を出して、小さな手を出して招くのでした。 子供にとって、木の葉も、草も、小石も、鶏も、小犬もみんな友だちであったのです。その父親は、手間がとれても、子供の気の向くままにまかせて、ぼんやり立ち止・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
出典:青空文庫