・・・心慧思霊の非常の英物で、美術骨董にかけては先ず天才的の眼も手も有していた人であったが、或時金きんしょうから舟に乗り、江右に往く、道に毘陵を経て、唐太常に拝謁を請い、そして天下有名の彼の定鼎の一覧を需めた。丹泉の俗物でないことを知って交ってい・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・私はまだ拝謁をしませんが、昔は一般から見て今の天皇陛下以上に近づきがたい階級のものがたくさんおったのです。一国の領主に言葉を交えるのすら平民には大変な異例でしょう。土下座とか云って地面へ坐って、ピタリと頭を下げて、肝腎の駕籠が通る時にはどん・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・二年立って、正保元年の夏、又七郎は創が癒えて光尚に拝謁した。光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」と言った。又七郎は益城小池村に屋敷地をもらった。その背後が藪山である。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それには、ただ今天皇陛下から拝謁の御沙汰があって参内して来ましたばかりです。涙が流れて私は何も申し上げられませんでしたが、私に代って東大総長がみなお答えして下さいました。近日中御報告に是非御伺いしたいと思っております。とそれだけ書いてあった・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫