・・・物も言わずにぺたりとそのそばに坐り、畳の一つ所をじっと見て、やがて左手で何気なく糸屑を拾いあげたその仕草はふと伊助に似たが、きゅうに振り向くと、キンキンした声で、あ、お越しやす。駕籠かきが送ってきた客へのこぼれるような愛嬌は、はやいつもの登・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 足をばたばたやって大声を上げて泣いて、それで飽き足らず起上って其処らの石を拾い、四方八方に投げ付けていた。 こう暴れているうちにも自分は、彼奴何時の間にチョーク画を習ったろう、何人が彼奴に教えたろうとそればかり思い続けた。 泣・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・ 岩崎という十二歳になる児童を呼んで「あなたは鉛筆を拾いはしなかったか」と聞くと顔を赤らめてもじもじしている。「拾ったでしょう。他人の者を拾ったら直ぐ私の所へ持て出るのが当前だのにそれを自分の者に為るということは盗んだも同じことで、・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・、背広で行くダンス・ホール、ピクニック、――そうした場所で女友を拾い、女性の香気を僅かにすすって、深入りしようとも、結婚しようともせず、春の日を浮き浮きとスマートに過ごそうとするような青年学生、これは最もたのもしからぬ風景である。彼らが浮き・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 彼等は、残飯桶の最後の一粒まで洗面器に拾いこむと、それを脇にかかえて、家の方へ雪の丘を馳せ登った。「有がとう。」「有がとう。」「有がとう。」 子供達の外套や、袴の裾が風にひらひらひるがえった。 三人は、炊事場の入口・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・は雁坂の山を望んでは、ああとてもあの山は越えられぬと肚の中で悲しみかえっていたが、一度その意を起したので日数の立つ中にはだんだんと人の談話や何かが耳に止まるため、次第次第に雁坂を越えるについての知識を拾い得た。そうするとまたそろそろと勇気が・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・おげんがその川岸から拾い集めた小石で茄子なぞを漬けることを楽みに思ったのは、お新や三吉や婆やを悦ばせたいばかりでなく、その好い色に漬かったやつを同じ医院の患者仲間に、鼻の悪い学校の先生にも、唖の娘を抱いた夫婦者にも振舞いたいからであった。彼・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・嫁の皿という貝殻がたくさんころがっている。拾いだすとなかなか止められない。とうと片っ方の袂へおおかたいっぱいになるまで拾う。 上へ上ってみると、自分の歩いた下駄の跡が、居坐った二つの漁船の間にうねすねと二筋に続いている。帰ったら藤さんが・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・そしてその上に乗る事も、それを拾い上げる事も出来ぬのである。そしてこれから先き生きているなら、どんなにして生きていられるだろうかと想像して見ると、その生活状態の目の前に建設せられて来たのが、如何にもこれまでとは違った形をしているので、女房は・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・写し取った中から、あらゆる思想や、警句や、特徴や、挿話を書き抜き、分類し、整理した後に、さらにこの著者が読んだだろうと思われるあらゆる書物を読んだり読んでもらったりして、その中に見出される典拠や類型を拾い出すというのである。この盲人の根気と・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
出典:青空文庫