・・・幸、その侍の相方の籤を引いた楓は、面体から持ち物まで、かなりはっきりした記憶を持っていた。のみならず彼が二三日中に、江戸を立って雲州松江へ赴こうとしている事なぞも、ちらりと小耳に挟んでいた。求馬は勿論喜んだ。が、再び敵打の旅に上るために、楓・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・クサカは人の持物になった。クサカは人に仕えるようになった。犬の身にとっては為合者になったのではあるまいか。 この犬は年来主人がなくて饑渇に馴れて居るので、今食物を貰うようになっても余り多くは喰べない。しかしその少しの食物が犬の様子を大相・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・ と蔵の中に、何とやらと言った、その口の下……「手前じゃ、まあ、持物と言ったようなものの、言わばね、織さん、何んですわえ。それ、貴下から預かっているも同然な品なんだから、出入れには、自然、指垢、手擦、つい汚れがちにもなりやしょうで、・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
一 むらむらと四辺を包んだ。鼠色の雲の中へ、すっきり浮出したように、薄化粧の艶な姿で、電車の中から、颯と硝子戸を抜けて、運転手台に顕われた、若い女の扮装と持物で、大略その日の天気模様が察しられる。 ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・大人はもちろん大きい子供らはそれぞれ持物がある。五ツになるのと七ツになる幼きものどもが、わがままもいわず、泣きもせず、おぼつかない素足を運びつつ泣くような雨の中をともかくも長い長い高架の橋を渡ったあわれさ、両親の目には忘れる事のできない印象・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ 船で河から市川へ出るつもりだから、十七日の朝、小雨の降るのに、一切の持物をカバン一個につめ込み民子とお増に送られて矢切の渡へ降りた。村の者の荷船に便乗する訣でもう船は来て居る。僕は民さんそれじゃ……と言うつもりでも咽がつまって声が・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 戸々に立ち働いている黒い影は地獄の兵卒のごとく、――戸々の店さきに一様に黒く並んでるかな物、荒物、野菜などは鬼の持ち物、喰い物のごとく、――僕はいつの間に墓場、黄泉の台どころを嗅ぎ当てていたのかと不思議に思った。 たまたま、鼻唄を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・き勧めた答案が後日の崇り今し方明いて参りましたと着更えのままなる華美姿名は実の賓のお夏が涼しい眼元に俊雄はちくと気を留めしも小春ある手前格別の意味もなかりしにふとその後俊雄の耳へ小春は野々宮大尽最愛の持物と聞えしよりさては小春も尾のある狐欺・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・その自分の好みから父さんは割り出して、袖子の着る物でも、持ち物でも、すべて自分で見立ててやった。そして、いつまでも自分の人形娘にしておきたかった。いつまでも子供で、自分の言うなりに、自由になるもののように…… ある朝、お初は台所の流しも・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。 大君の辺にこそ、とは日本のひと全部の、ひそかな祈願の筈である。さして行く笠置の山、と仰せられては、藤原季房ならずとも、泣き伏すにきまっている・・・ 太宰治 「一燈」
出典:青空文庫