・・・いいえ、それはもう、いまの日本では、私たちに限った事でなく、殊にこの東京に住んでいる人たちは、どちらを見ても、元気が無くおちぶれた感じで、ひどく大儀そうにのろのろと動き廻っていて、私たちも持物全部を焼いてしまって、事毎に身のおちぶれを感ずる・・・ 太宰治 「おさん」
・・・なんだか、まるで夢中なのです。持ち物全部を身につけなければ、気がすまぬのです。カシミヤの白手袋が破れて、新しいのを買おうとしても、カシミヤのは、仲々無いので、しまいには、生地は、なんであっても白手袋でさえあればという意味で、軍手になりました・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・この辺の畑全部は、私の家の、おおやさんの持物なのである。私は、家を借りるとき、おおやさんから聞いて、ちゃんと知っていた。おおやさんの家族をも、私は正確に知っている。爺さんと、息子と、息子の嫁と、孫が一人である。こんな不潔な、人ずれした女なぞ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・私は、そのたたかいの為に、自分の持ち物全部を失いました。そうして、やはり私は独りで、いつも酒を飲まずには居られない気持で、そうして、どうやら、負けそうになって来ました。 古い者は、意地が悪い。何のかのと、陳腐きわまる文学論だか、芸術論だ・・・ 太宰治 「美男子と煙草」
・・・私は、外に出る時には、たいていの持ち物は不恰好でも何でも懐に押し込んでしまう事にしているのであるが、まさかステッキは、懐へぶち込む事は出来ない。肩にかつぐか、片手にぶらさげて持ち運ばなければならぬ。厄介なばかりである。おまけに犬が、それを胡・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・なぜと云うに、あれは伯爵の持物だと云われても、恥ずかしくない、意気な女だからである。どうもそれにしても、ポルジイは余り所嫌わずにそれを連れ歩くようではあるが、それは兎角そうなり易い習だと見れば見られる。しかしドリスを伯爵夫人にするとなると、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・妙な足取りでよちよち歩いて来るそばを、駅員がその女の持ち物らしいバスケットをさげてすましてついて来た。改札口を出るとその駅員は、草津電鉄のほうを指さして何か教えているらしかった。女が行ってしまうとその駅員は、改札係と、居合わせた警官と三人で・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 食堂やあるいは電車の中などで、隣席の人のもっているステッキの種類特にその頭部の装飾を見ると、それに現われたその持ち主の趣味がたいていネクタイとか腕時計とか他の持ち物に反映しているように思われる。しかし神の取り合わせた顔と腕にはそうした・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・暗殺の目的は金や持物ではなくて、その旅人の有っている技能や智慧や勇気が魂魄と一緒に永久にその家に止まって、そのおかげでその家が栄えるようにという希望からだという事である。 これはずいぶん思い切って虫の好過ぎる話である。 しかしよく考・・・ 寺田寅彦 「マルコポロから」
・・・お絹はもう長いあいだ独身で通してきて、大阪へ行っている大きな子息に子供があるくらいだし、すっかり色の褪せた、おひろも、辰之助の話では、誰れかの持物になっていた。抱えは二人あったけれど、芸道には熱心らしかったけれど、渋皮のむけたような子はいな・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫