・・・ 何しろ可恐い大な手が、白い指紋の大渦を巻いているのだと思いました。 いのちとりの吹雪の中に―― 最後に倒れたのは一つの雪の丘です。――そうは言っても、小高い場所に雪が積ったのではありません、粉雪の吹溜りがこんもりと積ったのを、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・これにやや近いものを求めれば、指紋鑑別のスケールのごときものがそれである。「あたわざるにあらず、成さざるなり」と言ってもさしつかえはないであろう。 それはとにかく、感官のもう一つの弱点は、個人個人による多少の差別の存在である。しかし、わ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・何をしているところかと思ってみれば、それは、結婚記念に指紋をとる、という世界にもめずらしい行事をおこなっているところなのだった。『サン』のカメラは、ぬけめなく国内国外の目新しい写真をあさっているわけだが、この福島県のある村の人たちが、結婚式・・・ 宮本百合子 「指紋」
これは、長さ一寸余、たけ一寸ばかりの小さい素人写真です。焼付も素人がしたものと見え、三十年後の今日でもこの写真の隅に、焼付をしたひとの指紋のあとがはっきり見えます。やっと小学校に入ったぐらいの年であった私あてにかかれた次の・・・ 宮本百合子 「写真に添えて」
・・・ マッチから指紋をとろうとしなかったか 指紋をとることを思いつかなかったか 又煙はどっちへ流れたか 素人らしき熱心さ、若々しさ。これはよい心持だ。 ○新恋愛探訪 颯爽として生活力的な恋愛一つもなし。 三つの記事 各々・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・そして、日本の全人民が、いかなるものに対して犯罪をおかそうとしていると不安なのか、全住民の指紋をとることまではじめられようとしている。 偽りの目標をもった戦争とその敗戦が、日本の社会をこわした。重大犯罪の大部分が組織的で、大規模で、殺人・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・左の指をずっと剪って、右の方になったとき、思い出すともなく思い出して拇指の裏を見たら、魚のめのようなものは二つ、いつの間にかすっかり消えてしまっている。指紋が綺麗に流れていて、その間に小さい島のように一つだけ楕円形に光ったところが残っている・・・ 宮本百合子 「鼠と鳩麦」
・・・三鷹事件で、ハンドルからとれた指紋が、山本、飯田両氏のものであるかないかは、二三時間もあれば発表できることではないか。〔一九四九年七月〕 宮本百合子 「犯人」
・・・ 平和と原子兵器禁止については、アフリカの字を知らない原住民まで、指紋を署名がわりに支持している。カンタベリー僧正ヒューレッド・ジョンソン氏から、アフリカの原住民までを貫く、この平和と原爆禁止の要求こそ、現代のヒューマニティーの叫びであ・・・ 宮本百合子 「私の信条」
・・・その剛壮な腹の頂点では、コルシカ産の瑪瑙の釦が巴里の半景を歪ませながら、幽かに妃の指紋のために曇っていた。 ネー将軍はナポレオンの背後から、ルクサンブールの空にその先端を消している虹の足を眺めていた。すると、ナポレオンは不意にネーの肩に・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫