・・・ 今日の日本には自分たちの眼でソヴェト同盟をみてきた人が大勢いる。捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・よむ人に納得され、共感される一つの世界として作品を存在させるためには、ここに一人のAならAという人が日本の勤労人民、および召集された兵士として経てきた生活経験の末にめぐりあっているソヴェト社会の捕虜生活という、客観的な条件が先ずはっきりつか・・・ 宮本百合子 「結論をいそがないで」
・・・プロボイは日露戦争にバルチック艦隊の水兵として召集され、捕虜となって熊本にいたことがある。そして、バルチック海軍兵士の革命的組織に関係し、のち亡命して長くイギリスで海員生活をした。彼は殆どこれまで唯一のソヴェト海洋作家である。婦人の作家――・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・そこにどんな人民の苦悩があったかは中共の女捕虜に対する日本兵の暴虐をテーマとしてかいた人こそ、よくその事実を実感しているにちがいない。 批評家は現代文学の全体とその作家たちに切実であるべき「問題を、おこさなかったという問題」をもって一九・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・いま公判がひらかれている吉村隊長が、外蒙の日本人捕虜収容所のボスとして行った残虐と背徳行為が社会問題化したのは、「暁に祈る」という怪奇なテーマをもつ記録文学がいくとおりか発表され、輿論の注目をひいたためであった。現地の軍当局の信じられないほ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・ 最近、戦争が済んでから、ソヴェト領へ捕虜で行っている日本の人がどっさりあります。その方たちのある部分の方は帰って来ました。しかしある方たちはまだ帰って来ません。手紙は来るようになりました。赤十字の印のついた往復葉書で手紙が来るのです。・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・ 日露戦争に参加して、斥候に出て捕虜になった在郷軍人は、東京の家の書生の兄弟で、いい機嫌で、その時勇戦奮闘した様子を手まねまでして話した。 沙河附近の戦の時だったそうで、「そりゃあ、貴方様、見事に働きましたぞえ、そんじゃから・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・などは、作者のアナーキスティックな資質は変らないが、戦時中彼女がこうむった抑圧の記録として、また中国捕虜のおそるべき運命の報告書として、強い感銘を与えるものであった。その後この作家が「地底の歌」という新聞小説の連載によってやくざの世界の描き・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・自分がどこへ行っても、誰にとっても必要のない存在であるという考えが、病的に彼を捕虜にした。夜、カバン河の岸に坐り、暗い水の中へ石を投げながら、三つの言葉で、それを無限に繰返しながら彼は思い沈んだ。「俺は、どうしたら、いいんだ?」 哀・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・お茶々と呼ばれた少女の淀君は、美貌の母と共に秀吉の捕虜となって育った。彼女の美しさは、昔秀吉が恋着した母の美しさを匂うばかりの若さのうちに髣髴させた。年齢の相異や境遇の微妙さはふきとばして、彼女を寵愛した。錦に包まれて暮しながら、お茶々とい・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫