・・・しかし朝は授業がないからゆっくりして日のよく当った居間の障子の内で炬燵にあたりながら何かしていた。十時半頃に学校へ行ったら「数物」の校正が来ていたからすぐに訂正して木下君の部屋へ持って行った。自分の室へ帰って先日国民美術協会でやった講演「雲・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに足るものなきを吹聴し来るのである。吹聴し来るだけならまだいい。はてはあらゆる他の課目を罵倒し去るのである。 かかる行動に出ずる人の中で、相当・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・したがって芸術家に対しては今申した資本家教育者などの執務ぶりや授業ぶりはあてはまらない。がその個人的に出来上った芸術家でも、彼ら同業者の利益を団体として保護するためには、会なり倶楽部なり、組合なりを組織して、規則その他の束縛を受ける必要がで・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・けれどもその当時は毎週五、六時間必ず先生の教場へ出て英語や歴史の授業を受けたばかりでなく、時々は私宅まで押し懸けて行って話を聞いた位親しかったのである。 先生はもと母国の大学で希臘語の教授をしておられた。それがある事情のため断然英国を後・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・ そして今日から授業だ。測量はたしかに面白い。地図を見るのも面白い。ぜんたいここらの田や畑でほんとうの反別になっている処がないと武田先生が云った。それだから仕事の予定も肥料の入れようも見当がつかないのだ。僕はもう少し習ったらうちの田をみ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ ひるすぎは先生もたびたび教壇で汗をふき、四年生の習字も五年生六年生の図画もまるでむし暑くて、書きながらうとうとするのでした。 授業が済むとみんなはすぐ川下のほうへそろって出かけました。嘉助が、「又三郎、水泳ぎに行がないが。小さ・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ 一郎と五年生の耕一とは、丁度午后二時に授業がすみましたので、いつものように教室の掃除をして、それから二人一緒に学校の門を出ましたが、その時二人の頭の中は、昨日の変な子供で一杯になっていました。そこで二人はもう一度、あの青山の栗の木まで・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ある日、授業が終ってこれから礼というとき、さっとドアがあいて、一年の先生が首をのぞけた。「もう授業すんだんでしょう?」「ええ」「じゃ、一寸御免なさい」 すっと教室へ入って来て、生徒の一人である乾物屋の娘に何か書いたものを渡し・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・スクロドフスキー教授の末娘、小さい勝気なマリア・スクロドフスカとして、露帝がポーランド言葉で授業を受けることを禁じている小学校で政府の視学官の前に立たされ、意地悪い屈辱的な質問に一点もたじろがず答えはしたが、その視学官が去ってしまうと、今ま・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・音楽の先生などは、これまでの殆ど倍の授業時間となるということをきいた。併合して教えるとするにしても、いちどきに百人から百五十人を入れる唱歌教室をどの小学校でも持っているというわけではあるまい。倍の労力に対する先生への報酬は、どのように変化す・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
出典:青空文庫