・・・食事の時、仏蘭西人が極って Serviette を頤の下から涎掛のように広げて掛けると同じく、先生は必ず三ツ折にした懐中の手拭を膝の上に置き、お妾がお酌する盃を一嘗めしつつ徐に膳の上を眺める。 小な汚しい桶のままに海鼠腸が載っている。小・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 寝心地はすこぶる嬉しかったが、上に掛ける二枚も、下へ敷く二枚も、ことごとく蒲団なので肩のあたりへ糺の森の風がひやりひやりと吹いて来る。車に寒く、湯に寒く、果は蒲団にまで寒かったのは心得ぬ。京都では袖のある夜着はつくらぬものの由を主人か・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・さて、当り前なら手紙の初めには、相手の方を呼び掛けるのですが、わたくしにはあなたの事を、どう申上げてよろしいか分かりません。「オオビュルナン様」では余りよそよそしゅうございます。「尊い先生様」では気取ったようで厭でございます。「愛する友よ」・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あのアポルロの石像のある処の腰掛に腰を掛ける奴もあり、井戸の脇の小蔭に蹲む奴もあり、一人はあのスフィンクスの像に腰を掛けました。丁度タクススの樹の蔭になって好くは見えません。主人。皆な男かい。家来。いえ、男もいますし女もいます。乞食・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・しかし猫には夕飯まで喰わして出て来たのだからそれを気に掛けるでもないが、何しろ夫婦ぐらしで手の抜けぬ処を、例年の事だから今年もちょっとお参りをするというて出かけたのであるから、早く帰らねば内の商売が案じられるのである。ほんとうに辛抱の強い、・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・仕事は九百貫目、九百貫目掛ける十、答九千貫目。「九千貫だよ。おい。みんな。」「団長さん。さあこれから晩までに四千五百貫目、石をひっぱって下さい。」「さあ王様の命令です。引っぱって下さい。」 今度は、とのさまがえるは、だんだん・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・小間の床に青楓の横物をちょっと懸ける、そういう趣味が茶器の好みにも現われているのであった。「――これ美味しいわね、どこの」「河村のんどっせ」 章子と東京の袋物の話など始めた女将の、大柄ななりに干からびたような反歯の顔を見ているう・・・ 宮本百合子 「高台寺」
・・・こっちから何か話し掛けると、実の入っていないような、責を塞ぐような返事を、詞の調子だけ優しくしてする。なんだか、こっちの詞は、子供が銅像に吹矢を射掛けたように、皮膚から弾き戻されてしまうような心持がする。それを見ると、切角青山博士の詞を基礎・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・アガアテはいつでもわたくしの所へ参ると、にっこり笑って、尼の被物に極まっている、白い帽子を着ていまして、わたくしの寝床に腰を掛けるのでございます。わたくしが妹の手を取って遣りますと、その手に障る心持は、丁度薔薇の花の弁に障るようでございます・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・そして生の渦巻の内から一道の光明を我々に投げ掛ける。 ストリンドベルヒに至っては、その深さと鋭さにおいて――簡素と充実とにおいて近代に比肩し得るものがない。また心理と自然と社会との観察者としても、ロシアの巨人の塁を摩する。彼もまた「人間・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫