・・・その節は、ビール聞し召せ枝豆も候だのが、ただ葦簀の屋根と柱のみ、破の見える床の上へ、二ひら三ひら、申訳だけの緋の毛布を敷いてある。その掛茶屋は、松と薄で取廻し、大根畠を小高く見せた周囲五町ばかりの大池の汀になっていて、緋鯉の影、真鯉の姿も小・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 道を挟んで、牡丹と相向う処に、亜鉛と柿の継はぎなのが、ともに腐れ、屋根が落ち、柱の倒れた、以前掛茶屋か、中食であったらしい伏屋の残骸が、蓬の裡にのめっていた。あるいは、足休めの客の愛想に、道の対う側を花畑にしていたものかも知れない。流・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・西日をよけた番神堂の裏に丁度腰掛茶屋に外の人も居ず、三人は緩り腰を掛けて海を眺めた。風が変ってか海が晴れてくる。佐渡が島が鮮かに見えてきた。佐渡が見えると海全面の景色が皆活きてくる。白帆が三つ東に向って行く。動かない漁舟、漕ぐ手も見ゆる帰り・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 先年、初夏の頃、水郷を旅行して、船で潮来から香取に着き、雨中、佐原まで来る途中、早くも掛茶屋の店頭に、まくわ瓜の並べてあるのをみて、これを、なつかしく思い、立寄って、たべたことがありました。 燕温泉に行った時、ルビーのような、・・・ 小川未明 「果物の幻想」
・・・自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・突然耳元ちかく女の声がしたので、その方を見ると、長命寺の門前にある掛茶屋のおかみさんが軒下の床几に置いた煙草盆などを片づけているのである。土間があって、家の内の座敷にはもうランプがついている。 友達がおかみさんを呼んで、一杯いただきたい・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・今から丁度十年ほど前、自分は木曜会の葵山渚山湖山なぞいう文学者と共に、やはり桜の花のさく或日の午後、あの五重の塔の下あたりの掛茶屋に休んだ。しかしその時には自分を始め誰一人霊廟を訪おうというものはなく、桜餅に渋茶を啜りながらの会話は如何にす・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・その鮮やかな色の傍には掛茶屋めいた家があって、縁台の上に枝豆の殻を干したまま積んであった。木槿かと思われる真白な花もここかしこに見られた。 やがて車夫が梶棒を下した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺の山門が見えた。Oは石段を上る前・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・ そしたら向うのひのきの陰の暗い掛茶屋の方で、なにか大きな声がして、みんながそっちへ走って行きました。亮二も急いでかけて行って、みんなの横からのぞき込みました。するとさっきの大きな男が、髪をもじゃもじゃして、しきりに村の若い者にいじめら・・・ 宮沢賢治 「祭の晩」
・・・ 浅くひろがった松林があり、樹の間に掛茶屋が見えた。その彼方に海が光った。 藍子は、額にかざして日をよけていた雑誌の丸めたのを振りながら、ずんずん先へ立って砂浜へ出て行った。 遠浅ののんびりした沖に帆かけ船が数艘出ている。それ等・・・ 宮本百合子 「帆」
出典:青空文庫