・・・ 人の形が、そうした霧の裡に薄いと、可怪や、掠れて、明さまには見えない筈の、扱いて搦めた縺れ糸の、蜘蛛の囲の幻影が、幻影が。 真綿をスイと繰ったほどに判然と見えるのに、薄紅の蝶、浅葱の蝶、青白い蝶、黄色な蝶、金糸銀糸や消え際の草葉螟・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・と、呼吸をひいて答えた紫玉の、身動ぎに、帯がキと擦れて鳴ったほど、深く身に響いて聞いたのである。「癩坊主が、ねだり言を肯うて、千金の釵を棄てられた。その心操に感じて、些細ながら、礼心に密と内証の事を申す。貴女、雨乞をなさるが可い。――天・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・と対手にならず、人の環の底に掠れた声、地の下にて踊るよう。「お次は相場の当る法、弁ずるまでもありませんよ。……我人ともに年中螻では不可ません、一攫千金、お茶の子の朝飯前という……次は、」 と細字に認めた行燈をくるりと廻す。綱が禁札、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・またそこの婢女が座蒲団を三人分持って来たので、おかしいとは思ったが、何しろ女房の手前もあることだから、そこはその儘冗談にまぎらして帰って来たが、その晩は少し遅くなったので、淋しい横町から、二人肩と肩と擦れ寄りながら、自分の家の前まで来て内へ・・・ 小山内薫 「因果」
・・・風呂敷へ包んでサドルの後ろへ結えつけて戻って来たら、擦れとりましてな、これだけほどになっとった」 兄はその手つきをして見せた。姉の熱のグラフにしても、二時間おきほどの正確なものを造ろうとする兄だけあって、その話には兄らしい味が出ていて峻・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・三十前後の顔はそれよりも更けたるが、鋭き眼の中に言われぬ愛敬のあるを、客擦れたる婢の一人は見つけ出して口々に友の弄りものとなりぬ。辰弥は生得馴るるに早く、咄嗟の間に気の置かれぬお方様となれり。過分の茶代に度を失いたる亭主は、急ぎ衣裳を改めて・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・道具も永く使い馴らして手擦れのしたものには何だか人間の魂がはいっているような気がするものであるが、この羅宇屋の道具にも実際一つ一つに「個性」があったようである。なんでも赤あかさびた鉄火鉢に炭火を入れてあって、それで煙管の脂を掃除する針金を焼・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・その高い襠で擦れた内股にひびが切れて、風呂に入るとこれにひどくしみて痛むのもつらかった。 今はどうか知らないが昔の田舎の風として来客に食物を無理強いに強いるのが礼の厚いものとなっていたから、雑煮でももう喰べられないといってもなかなかゆる・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
・・・我々はもっとずっと、擦れてるから始末が悪い。と云ってあすこがつまらないんじゃない。かなり面白かった。けれどもその面白味はあの初菊という女の胴や手が蛇のように三味線につれて、ひなひなするから面白かったんで、人情の発現として泣く了簡は毛頭なかっ・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・と掠れ声を出す。「マア、女優ってところですな」 蔑んだ調子で番頭が合槌を打つ。そして、散々いかがわしい話をする。 小僧ゴーリキイは「そんな時には、店から駈け出して行って、婦人客に追い縋り、彼等についての陰口をぶちまけてやりた・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫