・・・――里見探偵事務所はわかっている。事務所の誰?――吉井君?――よろしい。報告は?――何が来ていた?――医者?――それから?――そうかも知れない。――じゃ停車場へ来ていてくれ給え。――いや、終列車にはきっと帰るから。――間違わないように。さよ・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・粟野さんは今日も煙草の缶、灰皿、出席簿、万年糊などの整然と並んだ机の前に、パイプの煙を靡かせたまま、悠々とモリス・ルブランの探偵小説を読み耽っている。が、保吉の来たのを見ると、教科書の質問とでも思ったのか、探偵小説をとざした後、静かに彼の顔・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・僕は彼の目の中に探偵に近い表情を感じた。「どうです、僕の部屋へ話しに来ては?」 僕は挑戦的に話しかけた。すると彼は微笑しながら、「どこ、君の部屋は?」と尋ね返した。 僕等は親友のように肩を並べ、静かに話している外国人たちの中を僕・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ 探偵でせえ無けりゃそれで好いんだ、馬鹿正直。而して暫くしてから、 だが虫かも知れ無え。こう見ねえ、斯うやって這いずって居る蠅を見て居ると、己れっちよりゃ些度計り甘めえ汁を嘗めているらしいや。暑さにもめげずにぴんぴんしたものだ。・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・いわゆる文壇餓殍ありで、惨憺極る有様であったが、この時に当って春陽堂は鉄道小説、一名探偵小説を出して、一面飢えたる文士を救い、一面渇ける読者を医した。探偵小説は百頁から百五十頁一冊の単行本で、原稿料は十円に十五円、僕達はまだ容易にその恩典に・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・ 突俯して、(ただ仰向であった―― で、背くぐみに両膝を抱いて、動悸を圧え、潰された蜘蛛のごとくビルジングの壁際に踞んだ処は、やすものの、探偵小説の挿画に似て、われながら、浅ましく、情ない。「南無、身延様――三百六十三段。南・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・一人だの、興行ぬしだの、手品師だの、祈祷者、山伏だの、……何を間違えた処で、慌てて魔法つかいだの、占術家だの、また強盗、あるいは殺人犯で、革鞄の中へ輪切にした女を油紙に包んで詰込んでいようの、従って、探偵などと思ったのでは決してない。 ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減。一つ穴のお螻どもが、反対に鴨にくわれて、でんぐりかえしを打ったんですね。……夜になって、炎天の鼠のような、目も口も開か・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・この家をめざしてからに、何遍も探偵が遣って来るだ。はい、麻畑と謂ってやりゃ、即座に捕まえられて、吾も、はあ、夜の目も合わさねえで、お前様を見張るにも及ばずかい、御褒美も貰えるだ。けンどもが、何も旦那様あ、訴人をしろという、いいつけはしなさら・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・あの馬鹿女郎め、今ごろはどこに何をしているか、一つ探偵をしてやろうと、うちわを持ったまま、散歩がてら、僕はそとへ出た。 井筒屋の店さきには、吉弥が見えなかった。 寝ころんでいたせいもあろう、あたまは重く、目は充血して腫れぼッたい。そ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫