・・・掏摸に金をすられた肥った年増の顔、その密告によって疑いの目を見張る刑事の典型的な探偵づら、それからポーラを取られた意趣返しの機会をねらう悪漢フレッド、そういう顔が順々に現われるだけでそれをながめる観客は今までに起こって来た事件の行きさつを一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・諸君は探偵と云うものを見て、歯するに足る人間とは思わんでしょう。探偵だって家へ帰れば妻もあり、子もあり、隣近所の付合は人並にしている。まるで道徳的観念に欠乏した動物ではない。たまには夜店で掛物をひやかしたり、盆栽の一鉢くらい眺める風流心はあ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・僕は少年時代に黒岩涙香やコナン・ドイルの探偵小説を愛読し、やや長じて後は、主としてポオとドストイェフスキイを愛読したが、つまり僕の遺伝的な天性気質が、こうした作家たちの変質性に類似を見付けた為なのだろう。 それはとにかく、これが僕を人嫌・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 署長さんは落ち着いて、卓子の上の鐘を一つカーンと叩いて、赤ひげのもじゃもじゃ生えた、第一等の探偵を呼びました。 さて署長さんは縛られて、裁判にかかり死刑ということにきまりました。 いよいよ巨きな曲った刀で、首を落されるとき、署・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・ ネネムはこれはきっと探偵にちがいないと思いましたので、堅くなって答えました。「はい。私は書記が目的であります。」 するとその男は左手で短いひげをひねって一寸考えてから云いました。「ははあ、書記が目的か。して見ると何だな。お・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・勿論、直接の感覚としては面白さを求めるとも見えるが、面白さの要素は心理的に綜合的なものであり、探偵小説、怪奇小説の類でさえ書かれている世界のリアリティーは、面白くない面白いを決定する重大な契機となっている。 面白さが読者大衆から要求され・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・ 探偵小説の面白味というものの真髄はどこにあるのであろう。そして、外国ではどうか知らないが、何故日本では医学方面の専門家が、この探偵小説を執筆するのであろう。法医学的な分野で接近があり、心理学、神経病理学とのつながりがあるからなのだろう・・・ 宮本百合子 「作家のみた科学者の文学的活動」
・・・ かつては、世界で一番一人当りの貯金高の多かったイギリスの中流人の生活という安穏な日々の基盤の上に、ゴルフが流行し、同じ消閑慰安の目的にそうものとして探偵小説が発達したことには、必然があった。吉田首相がイギリスの探偵小説をよみ、日本の大・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・先より話し易い心持で、探偵小説のことや、アメリカの学校のことなど喋った。着物でも夏であったが、黄麻の無地で、髪や容貌と似合っていた。 その時、別に立ち入った話をした訳ではなかったのに、数日後、私は俥に乗って田端の芥川さんの家を訪ねました・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・巴里で Emile Henry とかいう奴が探偵の詰所に爆裂弾を投げ込んで、五六人殺した。それから今一つの玉を珈琲店に投げ込んで、二人を殺して、あと二十人ばかりに怪我をさせた。そいつが死刑になる前に、爆裂弾をなんに投げ附けても好いという弁明・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫